2019年1月末、僕たちは埼玉県上尾(あげお)にいた。それはオモコロ記事になる、はずだった──。

 

オモコロ編集長の原宿です。

2019年1月のある日、「このままではオモコロの記事が足りないぞ!」と直感的に危険を感じた僕は、会社にいたメンバーに呼びかけ、「みんなで一日どこかに出かけ、勢いだけで作れる記事に仕立て上げよう。もうそうするしかない動かなければ死す」と、ほぼノープランで埼玉県の上尾市へと車で出かけました。

 

駆り出されたのは加藤、マンスーン、ARuFa、ヤスミノというメンバー。企画は「一人が行きたい場所にみんなで行くツアーズ」というもので、「旅行とかでみんなで移動していると、一人が「ここ行きたい!」と思ってもなかなか行けないよね。だから今日だけは一人が行きたい場所にみんなで行ってみようよ」、という内容でした。なぜ埼玉県の上尾市周辺だったのかは、会社から車で行けるちょうどいい距離の場所ってその辺かな?となんとなく思ったからです。

 

みんなに行きたい場所を考えてもらって、一日がかりで上尾市に出かけ、無事に撮影も終えて帰りに「ぎょうざの満洲」を食べました(その時の記事は上がっています)。

 

帰ってきて即座に記事を作ろう!と思っていたのですが、気づけば他のオモコロライターから記事が上がってきたり、他の取材や撮影があったり、歯が痛かったり、辛いラーメンを食べてやる気をなくしちゃったり、面白そうなネットフリックスのドラマがあったりして、まぁ要は書いてない。上尾に行ってからほぼ一年が経過しようとしているにも関わらず、僕はその記事を書かずにここまで過ごしてしまいました。

 

人生でもっとも濃密な時期だった2010年代を、未執筆の記事を残したまま終わらせていいのか。いや、良くない。オモコロ編集長の原宿と言えば、その類まれなる道徳心の高さと責任感の強さで世界に知られています。このような怠惰な行為を許してなるものか、倒されても倒されても立ち上がる闘犬のようなファイティングスピリッツで、ついに原宿は決意したのです。「上尾の記事を書こう」と。

 

まずはその不退転の決意こそを称賛すべきですが、問題は10ヶ月前に撮影に行った5人がどういう会話を交わしたか、全く覚えていないということです。悩んだ末に、原宿はライターのかまどに「俺、何を書こうとしていたか覚えてないから、いっそ何も知らない人間の視点で記事を書いてくれないか?」と持ちかけました。何たる奇策、起死回生の一手。諸葛孔明にも比肩される原宿の鬼謀が、記事文化の新たなる1ページを開く……かに見えたのですが、しばらく逡巡したのちにかまどは答えました。

 

 

「行ってない旅の記事は書けない」

 

 

まぁそうだな、と思いました。

 

 

そこで僕は、「よし、文章を書かずに写真だけを並べてみよう」と思ったんです。これは決して手を抜きたいのではなく、オモコロのような形のWeb記事を読むことに熟練した皆さんなら、もはや写真の流れを追うだけで、そこで起きたことや、やりとりの空気を感じ取ることができるのではないか?と思ったからです。

むしろ発信者のテキストが、Web記事の表現の幅を狭めているのではないか?という疑問は前々からありました。ライターという観測者の視点を持たないまま、読者が言葉の「不在」から立ち上がる内容を感じることができたら、それはオモコロを始めとしたメディアが作り上げてきたWeb記事という文化の成熟を意味しているのではないでしょうか?

 

これは「記事を書かない」という選択肢の先にある、さらなる可能性への挑戦。

人間の意識を記事にしようという試みなのです。

 

The Power of Dreams. OMOCORO.

 

 

次のページから、10ヶ月前に行った「上尾の記事」が始まります。