平成女児チョコレートというものが、ある。

アルミカップの中で固められアラザンやカラースプレーに飾り付けられたそれは、特定世代女性のノスタルジアを異常増幅させる魔石であり、令和8年の今でもなお『もっと懐かしい気持ちになりたい』という思いのもと違法製造が繰り返されている。


とはいえ、当時の平成女児チョコの流通経路は小学生女児間で行われる『友チョコ交換』が主たるものであり、小学生男児であった私のもとにそれが回ってくることは、ついぞ無かった。

風の噂によると、ごく少数の小学生男児は『本命チョコ』としてそれを受け取る栄誉に浴していたそうだが、図書館の古すぎて臭い本をこれ見よがしに読むことがカッコいいと思っていた私のもとにそれが回ってくることは、ついぞ無かった。

人は10代で満たされなかったものに強い執着を示す。
この言葉はおそらくプロフに『心理学』と書いているだけで心理学を修めた気になっている謎のTwitterアカウントがひり出した単なる世迷言ではあるのだが、鋭い目で女児チョコを作っている自分を客観視すると、あながち間違いでもない気がしてくる。

足りない。
こんなトロールの鼻くそみたいな量では、あのとき臭い本に隠れて泣いていた少年を慰めることなんて、できやしない。
できやしないんだ。
かくして私は、ホールケーキサイズの平成女児チョコを作ることにしたのである。
平成女児チョコをホールでいこう

とはいえ
このまま、ど正直にこのアルミカップに大量のチョコレートを流し固めるとすると……







このような結果になることが容易に想定される。
インパクトに欠けるし、硬いチョコを一所懸命食べたところでオチが『チョコが硬い』というのはあまりにも自分が可哀想だ。
面白い記事を書きたい。
なにより、オモコロからせしめた経費で、まんまと美味しいものを食べたい。
そういった情熱から、ある作戦を考えた。
詳細は順を追って説明しよう。
『オチ』は、あとからついてくる筈だ。
多くの優れた記事がそうであったように。
それでは、
平成女児チョコをホールでいこう(決定版)
クリストファー・ノーランが映画を撮るためにとうもろこし畑を栽培したように、巨大平成女児チョコ作りは型を作ることから始まる。

やはり平成女児チョコにはこのギザギザ感がないと寂しい。
そうしてできた型に、極めて安い値段で手に入れたカステラを詰めていく。

そう。
今回作る女児チョコは、女児チョコケーキ。
カステラの生地の上にチョココーティングを施すことで、質量と食べやすさを両取りするという算段だ。
チョコレートを流し込む前に、巨大女児チョコにふさわしいカラースプレーとアラザンを用意する。

ポッキーを細かく切るとおっきいカラースプレーに、

ラムネを銀の食用スプレーで着色するとおっきいアラザンになる。
銀スプレーは食べる銀として信用できるギリギリの価格帯のものを購入した。
しかしご覧の通り、見た目がぜんぜん変わらなかったため不安感のみを吹きかける形となった。
そして、チョコレートをコーティングし存分に飾りつければ……

巨大・平成女児チョコの完成だ。
ここに至ってなお、『オチ』の来訪は、ない。
平成女児チョコをホールで、いく

装飾に気合いを入れすぎて東方のプレイ画面みたいになってしまった。
気を取り直して、一切れ食べてみると……


おいし…
パリッとしたチョコの食感がアクセントになって飽きずに食べ進めてしまう。
ありえん安いカステラも、ありえん安いとは思えないほどの上品な甘味を醸している。
平成から令和に至るまで積み重ねられたコンビニ・製菓会社の努力の結晶がそこにはあった。
ああ、このままだと…
巨大平成女児チョコが美味しすぎて……
『オチにあたるなにか』に、なってしまいそうだ______
食べ進むにつれ、否応なく意識してしまうのは、未だ連絡のつかない『オチ』のこと。
夜風に部屋が軋むたびに、スマートフォンが通知音を発するたびにあなたの姿を探してしまう私は、初心な少女のようだ。
もうすぐページが変わる。
あなたよ、来るのならすぐにして。
来ないのなら、私を殺して。
ケーキが腐ってしまわぬうちに。

サイケ蟹光線










