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洒落に無頓着で、変じゃなければ良い、程度の感覚で服は選んでいるが、それでもお気に入りの一着くらいはある。

 

数か月後に大学受験を控えた高三の冬にお姉ちゃんがくれたセーターがそれで、薄い紫色の太い毛糸で編んだハンドメイドの輸入もので、着てみせたらよく似合ってるとお姉ちゃんは言ってくれた。

 

冬がくるたび、わたしはそのセーターを引っぱり出してきて、かなりの頻度で着用し、春がきてしばらくしてもまだしつこくそれを着ていた。

 

はじめてのデートのときも、はじめての海外旅行のときも、はじめての鍾乳洞長期潜伏期間中も、いつもそのお気に入りのセーターだった。

 

ところがそうやって後先考えずに着倒してきたせいで、今、セーターの状態がひどいことになってる。とにかく、毛玉がすごい。小さな毛玉がセーターの表面をびっしりと覆い尽くしている。

 

このまま毛玉が増え続けたら、大切なお気に入りのセーターはどうなってしまうのだろうか。とわたしは思う。

 

着れば着た分だけ増殖する小さな毛玉は、やがて別の小さな毛玉とくっついて中くらいの毛玉になるだろう。中くらいの毛玉は、別の中くらいの毛玉と同化して大きな毛玉に、大きな毛玉は別の大きな毛玉と融合してさらに大きな毛玉になる。

 

そうやって増殖と融合を繰り返したら、最後はどうなるか。

 

 

1個の巨大な玉になる。

 

はたしてわたしは、そうなってしまったものを、引き続き、これはわたしのお気に入りのセーターですと、胸を張って言えるだろうか。毛で出来たただの球体を指差して、お姉ちゃんにもらった大事なセーターなんですと、言えるだろうか。

その玉を頭の上にのせて、着心地が最高なんですこのセーターと言えるか。肩にのせて、どう?似合ってる?と言えるか。

 

深夜のテレビショッピングで紹介してた毛玉取りを使ってはどうだろう。と考えてみる。
天然の猪毛を使用したというそのブラシを使えば、さっとブラッシングするだけで、衣類を傷めずに毛玉だけを驚くほど綺麗に絡め取ることができる、という話だが。

 

驚くほど綺麗に毛玉が取れたら、わたしはきっと嬉しくなって、前よりもっとお気に入りのセーターのことが気に入って、きっと着用しまくるだろうと思うのだ。

会社にも着ていくし、コンパにも着ていくし、結婚式にも、葬式にも着ていくし、もし徴兵制度が復活した暁には、戦場へもそれを着て出兵する所存である。

ところがそうやって何度も着るうちに、毛玉がまた付きはじめる。毛玉の増殖と融合が進む。

 

そうしたらまら、猪毛のブラシで毛玉を取るだろう。毛玉が取れたら、私はまた嬉しくなって、それを着て出兵するだろう。するとまた毛玉が付く。猪毛のブラシで取る。嬉しくなる。出兵する。毛玉が付く。

ブラシ。嬉しい。出兵。毛玉。ブラシ。嬉しい。出兵。毛玉。

そうやって、毛玉が付いてはブラシで取るのを繰り返したら、最後はどうなるか。

 

 

「無」になる。

 

毛玉を取り除くたびにセーターは痩せ細り、縮小し、お気に入りのセーターは最後には消えて無くなってしまうだろう。取り除いた大量の毛玉だけが残るが、それをかき集めて合体させたところで、それはもはや「お気に入りのセーター」とは程遠い何かだ。

 

「お気に入りのセーター」はこの世界から姿を消し、猪毛のブラシに絡め取られた「お」「き」「に」「い」「り」「の」「せ」「え」「た」「あ」だけが残る。

何かの拍子でどこかにいってしまった「せ」以外の残りのそれらを一箇所に集めて合体したら「ありのにおいきえた」になるだろう。「お気に入りのセーター」は「蟻の匂い消えた」になってしまった。蟻の匂いってどんな匂いだろう。

 

大切なお気に入りのセーターが消えてなくなった上に、さらに蟻の匂いという訳のわからないものが訳の分からないまま消えて、ニ倍の喪失感に苛まれるというのは実に理不尽な話だ。

 

そんな理不尽な悲しみを背負うくらいなら、いっそ今ここで、お気に入りのセーターを捨ててしまおう。

 

 

 

 

(忍子の日記)