1学年1クラスの小学校に通っていた。
1年生:藤田先生(女性/50代後半/八千草薫似)
2年生:木元先生(男性/30代後半/真島茂樹似)
3年生:髙橋先生(女性/50代前半/ドラえもん似)
という担任遍歴を経てきたのだが、
4年生になった始業式で、新任の竹本先生(水川あさみ似)が担任になると知らされた。
クラス替えがないため、緊張感ゼロだった体育館に電撃が走った。
直後、僕らは初めて若い女性が担任になることを喜んだ。
それは教務主任の怒号で静められた。
竹本先生はやさしく、声を荒げたりすることはなかった。
それまで人見知り全開だった僕も、竹本先生が担任になってから毎日が楽しく、快活になった。
できれば忘れたい記憶だが、先生の前で歌もうたっていた。
たぶん、潜在的に「モテたい」という気持ちがあったのだろう。
7月のはじめ、誰かから「屋上で給食を食べたい」という意見が出て、みんながそれに賛同した。
なぜ突然そんなことを言い出したかというと、
5年生が図工の時間で学校の屋上に上がり、景色をスケッチする授業を行ったと知ったからだ。
小学生、少なくとも僕らは高い場所が好きだった。
休み時間は校庭のジャングルジムの頂を目指してアタック。
マリオみたいに高得点が得られるわけでもないのに、
当時流行っていた『少林サッカー』に憧れてゴールによじ登り、「アチョー」と叫ぶやつもいた。
それは教務主任の怒号で静められた。
“学校の屋上”なんてのはマンガやドラマでしか上がれないものだと思っていた。
危険なので普段は行けないことは、サッカーゴールの上で「アチョー」と叫ぶバカにもわかっていた。
だが、そんな屋上に行ける。
校庭の遊具はおろか、周りのどの民家よりも高い。
竹本先生は「ダメ」と断っていたが、
何日もお願いし続けるしつこい僕らは4年間同じクラスでやっているためか団結力が強く、
やがて「今日、屋上で食べたい!」との声に根負けし、鍵を持って来てくれた。
上司に何度も懇願してくれたのだろう。あの恐ろしい教務主任に。
もしかしたら校長先生にも頭を下げていたのかもしれない。
いま、あの頃の竹本先生と同じくらいの年齢になってみると、その苦労がよくわかる。
教室で配膳を済ませた僕らは、各自トレイを持って階段を上がる。
引き戸を開けて屋上に飛び出す。
澄み切った初夏の空。暑いくらいの日差しだが、風が強いので心地よい。
最高の青空給食日和。
と思ったのだが……。
風の強さゆえ、校庭の砂が舞い上がり、屋上に降り注いだ。
砂の雨は ご飯をごましおご飯に、
味噌汁をコショウスープに、
プリンを黒ごまプリンに変化させた。
小学4年生にはその展開は予想できなかった。
真顔でこちらを見つめる竹本先生。
僕らは強い団結力で、誰一人文句を言うことなくジャリッ……という最悪の食感を噛み締めた。
その日の残飯量は異常だった。
夏休みが終わって二学期が始まると、
竹本先生は人が変わったように厳しく叱るようになった。
なぜかはわからない。