イソジンを吐き出すのが難しい。

 

私のようなオッサンと呼ばれていい妙のある年齢に差し掛かると、それ相応に口内もネバつくので、「口内細菌の奴等、根絶やしにしてくれよう」という織田信長並みのアグレッシブな気持ちに2日にいっぺんは襲われている。

そこでうがい薬であるイソジンの出番なのだが、このしょう油色の液体のやんなっちゃうところに、色素が沈着しやすいというのがある。

他に味がマズいのもやんなっちゃうが、うがい薬を口に含むたびにいちいちパストラミビーフのごとき旨味が襲ってきてもそれはそれでイヤなので、味のことは一旦脇に置こう。問題は色素である。

イソジンを口に含んだ後、「ペッ」と洗面台に吐き出すと、パッとその赤褐色の液体がはね散り、白い洗面台にしょう油をこぼしたような茶色い花が咲く。

それも一瞬で済むことであれば、「花の命とは、儚きものですね」という幸薄き少年の笑顔で見送っても良いのだが、イソジンの花はなぜか執拗に現世にとどまろうとし続ける。

水流で洗い流そうとしても、イソジンは凹凸のない洗面台に必死の握力でへばりつき、排水口の向こうへなかなか旅立とうとしない。

仕方なくこっちが手指でゴシゴシと、洗面台にしがみつくイソジンをこそげ落としていくのだが、その作業をしている内に「これは本当に2018年の出来事なのか?」という気がしてくる。

単純作業がロボットに置き換わり、コンビニのレジまでが無人になろうとしているこの時代においてもまだ、洗面台に咲くイソジンの花は、人間が手でもってこそげ落とさなければいけないのだろうか。

本当に?

 

「何をしている、イーロン・マスク!」

 

二千年紀の時の果て、人類が辿り着いた未来像のバランスの悪さに怒髪天を衝いた私はそう絶叫すると、テスラ・モーターズがそびえるであろう方角をキッと睨みつけると、がさつな手つきで戸棚を漁って1本のストローを取り出す。

そして再び憎きイソジンを口に含むと、ストローを唇にくわえ、そろ~っとした調子でストローから排水口へ、ぬくもった赤褐色の液体を直接流し入れてやるのだ。

こうすれば、色素を洗面台に付着させることなく、イソジンを奈落の底へと送り込むことができる。

 

「どうだイソジン、これが人の叡智だ。どんなアゲインストも打ち破ってきたホモ・サピエンスの生きる力だ」

 

種族を越えた戦いに打ち勝った私は、その日てんやのオールスター天丼に穴子天をプラスした。

 

2028年、10年後の未来を生きる君へ。イソジンはまだ、洗面台に花を咲かせているだろうか。

 

 

 

他の「文字そば」を読む