第7回「人見知りとお調子者のオモコロ合宿
  

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放送ゴキーかまど

 

落語の王様「寿限無」

落語の演目と聞いて、まず最初に思い浮かぶのは「寿限無」だと思う。

いつからか国語の教科書に載るほどにポピュラーな噺になったし、今まで落語を一度も聞いたことがない人でも、「寿限無」と聞けば、それが有名な落語の演目であることは知っている。

「落語といえば」の問いには、人によっては「時そば」「饅頭怖い」をあげる人もいるだろうけど、これらと「寿限無」との一番の違いは「前座噺(噺家がまず最初に覚える基礎的な演目)であるか否か」で、聴く人だけでなく演じる噺家にとっても、寿限無は馴染み深い噺であると思う。

実際、「寿限無」という噺は、他とは一線を画す存在感を持っているだけでなく、落語としてかなり優秀だと思う。落語の能力値を表す五角形レーダーチャートがあったとして、寿限無は全ステータスがマックス値のオールラウンダータイプ。どの角度から見ても隙のないほぼ完璧な噺で、だからこそ落語の王様としての地位を築くに至ったのだろう。

 

ブランドと落語っぽさ

「今日初めて落語を聴きます」という人にも寿限無は安心してオススメできる。

そんな人には、いわゆる「落語っぽさ」というか、聴き終わった後に「落語聴いたわ~」感がないとあんまり噺を聴いた甲斐が感じられないだろうと思う。

個人的に、「落語的な笑い」で初心者の方たちを満足させるのは難易度が高いと思う。なので、ここでいう「落語っぽさ」は面白さ以外での見どころになる。例えば「時そば」であれば、「そばをすする動作」、「饅頭怖い」であれば「いわゆる落語っぽい機知に富んだオチ」。

寿限無の場合は「言い立て(お決まりの長セリフ)」に当たる。

「寿限無寿限無五劫の擦り切れ~」と長い名前を流暢に言い立てるシーンで、落語を知らない人でもなんとなく「おお。やるじゃん」と思えるだろうし、寿限無の場合それが笑いどころにも直結しているので、やっぱり見終わった後に「すごいじゃん」と感じてもらいやすいように思う。

もっと言えば、寿限無なんて「落語の代名詞」として半ばブランド化されているのだから、聴けば「これがあの寿限無ってやつか!」と思える。その時点で、もうある程度の満足感をもたらしてくれる。ちゃんと笑えるし、言い立てという落語的魅力もある。

前座噺のごく軽い演目にもかかわらず、聴き終えた後の満足感もあるのは、すごい。

これだけ燃費のいい噺って、寿限無くらいじゃない?

 

初心者向け

落語になじみのない人が初めて落語を聴く際は、落語のヤダ感はなるべくないほうがいい。

落語との初対面が、例えば「道灌」であれば「カドが暗い? ん? どういうこと?」となるだろうし、「火焔太鼓」であれば「ジャンジャンがオジャン? あ? 何言ってんだこいつ」となる。

それを踏まえて寿限無を考えると、そう言った落とし穴が意外と少ない。

例えば、「時そば」の場合、

これは落語に良くある「付け焼き刃」系の噺で、ざっくり言うと「ほかの人を真似て◯◯をやってみたけど、うまくいかずに失敗してしまう」というテーマ。

落語には、この付け焼き刃系の噺は多くある(子ほめ、つる、青菜など)けれど、それらに共通して言えるのが「前半がダルい」という点。

「時そば」は、前半に「正しい勘定のちょろまかし方」を説明して、後半に「それを真似したらことごとく失敗しました」で笑いを取っていくという付け焼き刃系として基本的な構造になっているけれど、大体の場合、最初の「正しい勘定のちょろまかし方」のパートで飽きが来る。

これといって分かりやすい笑いどころもないし、そのくせ情報量だけやたら多く、「初心者の方が落語に対して持っている偏見」をしっかり上塗りする時間になってしまう。

「饅頭怖い」は付け焼き刃系ではないものの、長屋連中が集まってバカ話をするパートが噺のほとんどを占める。要するに登場人物が多いので、初心者が陥りがちな「誰が誰か分からない」地獄に、割と簡単に突入してしまう。

初心者が置いてけぼりになる危険性があるということは、噺の構造にある程度の脆さがあるとも言える(時そばでなく時うどんであれば、この辺のリスクは一掃できるけど、時うどんなんて誰も知らないよね)。

寿限無はどうかと言えば、正直前半はダルい。

構造上、前半は「寿限無(中略)長助を由来とともに説明する」シーンで、後半は「長い名前による失敗談」になるので、大きな笑いどころは後半になるまで訪れない。前半はただの説明パートなので、付け焼き刃系と同じリスクを持っていると言えなくもない。

ただ、これは寿限無のブランド勝ちとも言えるけれど、

「寿(ことぶき)限り無しと書いて寿限無というおめでたい言葉があってね」とか、「海の砂利や水に棲む魚は数え切れないくらいに数限りないから、海砂利水魚という言葉はめでたくて…」とか、おなじみの寿限無の由来を説明するシーンを退屈に聴き終える人は意外と少ない。

無教養の庶民が和尚さんからありがたいアドバイスをもらう、という構造もそれに寄与していると思うけれど、前半パートには「教養の威圧感」がある。聴いて得した感というか、「へぇ~そうなんだなるほどふむふむ」と聴ける魅力というか。

一応、申し訳程度のクスグリ(落語で言うボケどころ)はちゃんとちりばめてあるので、本来なら初心者を置いてけぼりにしてしまいがちな説教くさい時間が、寿限無の場合は面白く、かつ興味深く聴ける時間になる。

個人的にここが寿限無の肝要なところだと思っていて、一説によると、落語の起源は、僧侶が仏教の教えを語るときに、ユーモアを交えて伝えていたのが発端だと考えられている(確かそうだったと思う。違ったらごめん)。教養というか説教くさい話を噺として聴かせきる寿限無は、そう言った落語の本流を組む噺だと言えなくもない。

まあ、そうでなくても、寿限無の語源を説明しているだけの前半パートを聴いて「難しくてよくわかんなかった」と言い切れる度胸のある奴はそうはいないだろう。寿限無は無敵だ。

 

味わい

「初心者向けに最適」だからと言って、落語好きが「寿限無? はは、甘ちゃん向けのベイビー落語っしょ」と寿限無を軽んじることはない(と思う)。むしろ、玄人がいろいろ詮索しても語りしろがある、奥深くて懐深い話だ(と思う)。

僕が落研時代に「寿限無」を練習するにあたって、先輩から「子供が生まれた親心をちゃんと意識して演じてみようね」とアドバイスを受けたことがある。

当時は、「何言ってんだこいつ? 寿限無は人情噺じゃねえんだよ。お涙頂戴のウェッティストーリーでもねえのに、無駄な感情の情報入れるわけねえだろ豚顔面。」と思っていたけれど、実はこれが落語を落語たらしめている、割と本質的な指摘だと気付いたのは結構後になってからだった。

作中で、父親が子供に「寿限無(中略)長助」という長い長い名前をつけるのは、「ボケ」ではない(ボケだったらコントやジョークになるから)。

子どもができて嬉しくてしょうがない父親が、子どものために何かとめでたい単語を取りあつめたけど、根がバカだから、選びきれなくてそれを全部名前にしてしまいました。というストーリーで、つまりはこれが落語なのだ。

例えばこれが大喜利(笑点的なやつではなく、いわゆるIPPONグランプリの)だとして、「こんな親は嫌だ」の答えが「子どもの名前候補を選びきれなくて、全部つなげてしまう」という答えだとしたら、こんなにつまらん解答はない。ボケとしては0点。カス。

ただ、これは落語なので、文脈とストーリーがある。寿限無はただの「もしもめちゃくちゃ長い名前の奴がいたら」というコントではなくて、「子を思う親の~」という文脈を孕んだ滑稽話だ。

そこから、「子を思う愛情が深すぎるとこんな馬鹿げた話になる」という皮肉った教訓めいたものを感じてもいいし、「深い愛情が暴走して長名になったけど、それを受け入れるおおらかな落語の世界」に思いを馳せてもいい(人によって味わうポイントや解釈が違うのはクラシックの醍醐味なので)。

この辺の…なんか文章にするのも無粋な点において、寿限無はかなり懐が深い。

正直言うと、実際演じられる寿限無で、「子を思う親の~」という点を強調して演出されたものは見たことはないけれど、初心者から玄人まで満足させる「寿限無」が落語として最もポピュラーな位置にいるのは、いいことだよね。

 

不条理

あと、これは僕が勝手に思っていることだけれど、寿限無の笑いの取り方って他の落語と比べてもかなり異質。かなりイレギュラーなクスグリで構成されている寿限無が、落語界で最もポピュラーなのは、割と不気味に思う。それも、落語という形で数百年受け継がれてきているし、その長い年月、同じ構造で人を笑わせ続けてきたことはかなり異常だ。

これが「子ほめ」だったら分かる。いわゆる付け焼き刃で「教えてもらった◯◯をやってみたら、根がバカだから失敗しました」という噺。バカなやつの失敗談って感覚的にどの時代の人でも分かるだろうし、過不足なく面白い。

これが「厩火事」でも分かる。「一件落着、夫婦円満かと思いきや、こんなオチでした」という噺。夫婦の関係ってどの時代でもさほど変わらんだろうし、機知に富むサゲも気持ちがいいし。

「寿限無」の場合はどうかといえば、言ってみれば「長い名前のやつが生きている世界」を描いているだけ。極端にいえば、滑稽もないし、ツッコミもない。今風の言葉で言えば、実は寿限無は「シュール」である。

『「寿限無寿限無(中略)長助」という長い名前がつけられました』がオチだったらまだわかる(噺としてはクソつまんねえけど)。オチだけ発想がジャンプしてチャンチャン♪で締めるなら、まだ生理的に納得できる。

ただ「寿限無」はそこから、寿限無(中略)長助が普通に暮らし始める。これって頭おかしくない? 不条理な世界に突入だぜ? ここからは「長い名前のやつがいる世界」の「あるある」が語られるだけで、別にボケやクスグリはないんだよ?

「名前なっげ!!!」という世界観を壊すボケが入るケースは稀で、大体の場合は「寿限無(中略)長助が普通に存在する」世界観に準じて落語は終わる。シュールとか不条理って割と最近生まれた笑いの形かと思ったら、普通に寿限無がやっているのだ。しかもそれが落語界で最も有名。異常だ。

これが僕が思う寿限無最大の魅力なんだけど、あまり共感されたことはない。ちゃんと言葉を尽くして説明してないからだろうな。

 

2次創作

寿限無は2次創作が多い。というか改作しやすい。

「名前が長いからコブが引っ込んじまった」がデフォルトだと思うけど、そのオチ部分だけでも色々やりようがある。今風にやればキラキラネームと関連付けて風刺チックな改良もできるだろう(多分誰かやっているかもしれない)し、寿限無(中略)長助が就活する話とか、なんかいかにも面白くなりそうだ。

これは聞いた話だけど、井戸に落ちた寿限無(中略)長助を助けようとして、「おい! 寿限無(中略)長助が井戸に落ちたらしいぞ!」「なんだって? 寿限無(中略)長助が? 急いで119だ!」「事故ですか? 救急ですか?」「実はウチの寿限無(中略)長助が井戸に!」「なんですって! ではその寿限無(中略)長助さんは今どんな状況ですか?」「はい、ウチの寿限無(中略)長助は今井戸の中で溺れてて…」とやりあってると、名前が長すぎて溺死してしまったとさ。みたいなブラックなオチも昔はあったらしい。

かくいう僕も、落研時代に「寿限無(中略)長助が誕生日パーティを開いたら…」みたいにオチを変えたものを作って演じていた。ハッピーバースデイの曲に合わせて「ハッピーバースデイ♪ ディア 寿限無寿限無五劫の擦り切れ…」と歌うシーンを作ったりした。

プロの噺家でも改作は行われていて、三遊亭円丈は寿限無を構成する単語を全部今風に置き換えて、より笑いやすい名前に変えていたり(「食う寝るところは2DK」ってクスグリがあって、爆裂に笑った記憶がある)、他の落語「たらちね(名前の長い女の人が出てくる)」と混ぜて「寿限たら」という噺を作った人もいるらしい。「寿限たら」は聞いたことはないけど、多分壮絶に面白いだろう。

2次創作できる余地があるということは、パロディもしやすい。今、wikiで見てみたら銀魂とかじょしらくてやってるらしいよ。落語に詳しくない人でも、そのパロディに出くわす場面もあるだろうし、最近の寿限無認知度の高さは、その辺も影響している気もする。

なんにせよ、寿限無は「手も触れられない孤高の作品」というわけではなく、誰でも弄くり回せる親しみ深いオモチャでもある。これもまた寿限無の存在感を異質にしている要因であると言えそうだ。

 

終わりに

以上が、寿限無が落語の王様であることに対する僕の所見。

寿限無は無敵だ。多分数百年後も同じように日本人は寿限無で笑っている。長い年月を経て、一般化され合理化されてきた落語に敵うコメディなど、この世にあろうはずもないのだ。

 

そうでもない?

じゃあそうかもしれない。

 

END