こんにちは、ペンギンです。
いま、僕はワークマンに向かっています。
なぜか?
「ワークマンのお通し」という夢を見たからです。
いわゆる「言葉の夢」なんですけれども。
皆さんは見ますか?言葉の夢を。
ある朝――
ワークマンのお通し
ワークマンのお通し
ワークマンのお通し
ワークマンのお通し…?
……夢か。
おはようございます、ペンギンです。
夢って、ほんと不思議ですよね。
夢の中だったら、空も飛べるし、憧れの有名人にも会える。
物理的にあり得ない出来事も、物理的にはあり得るけどまあ起こらないだろうなという出来事も、何でも“実現”します。
同じく、起こって欲しくないことも簡単に“実現”します。
遅刻してはいけない日ほど遅刻する夢を見るし、怒られたくない案件がある時ほど怒られる夢を見ます。
直接的な夢だけでなく、「暗示」的な夢もありますよね。
僕の場合、何かに追い詰められている時は決まって、転がってくるデカい岩から逃げるというクラッシュバンディクーみたいな夢を見ます。
しかし、これらの夢パターンはどれも「意味がわかりやすい」んですよね。
夢の醍醐味って、もっとこう、「意味の分からなさ」にありませんか?
夢だからこそ遭遇する不条理。
夢だからこそ進行していく支離滅裂なストーリー。
夢だからこそ発見できる深くて小さな記憶の断片。
その他諸々。
僕は、たまにすごい夢を見るとスマホのメモ帳に書くことにしています。
読み返すと、たとえば
どうしてもなすびが必要
近所のスーパーまで車で向かうがブレーキがうまく利かず前の車にぶつかる
そのまま車で教習所に逆戻りする
教習所の窓口でクリアファイルに無理やりねじ込まれたなすびを手に入れる
というのがあります。
説明するまでもない圧倒的な不条理の連鎖。
不条理なのに、なぜか当初の目的を達成して一件落着になっている奇跡のストーリー。
起きている時には絶対欲しがらない物に異常なまでに執着する心理風景。
そして、絶妙に、本当に絶妙に、「絶対に起こらないと断言できない」ラインのギリギリを突いてくる描写。
なすびが丸々一本クリアファイルにねじ込まれてる状態って、教習所だったらギリ、本当にギリ、地球上の全ての教習所のどこかで、この宇宙が一周するまでの間に1回くらいは、ギリのギリ、ありそうじゃないですか?
こういう夢、ありますよね?
さて、そろそろ本題なんですけれども。
言葉の夢
ってありませんか?
僕、結構見るんですよ。言葉の夢。
今日見た夢、ワークマンのお通しなんかまさに言葉の夢なんですけれども。
ところが、「言葉の夢」と検索しても、意外としっくりくる解説がないんですよね。
「ありがとうと言われる夢」とか、「読めない謎の文字が出てくる夢」とかはいくらでも出てくるんですけど。
もっと根本的な「言葉そのもの」に関する夢を、僕は「言葉の夢」と言っています。
もしかするとあまり一般的じゃない可能性もあるので、じゃあ一応、僕がよく見る「言葉の夢」が何なのかについて、順を追って説明しましょう。
そんなのわかるよという方も、すみませんが少しだけお付き合いください。
言葉の夢って、何?
言葉の夢について、レベル別に4段階に分けて説明します。
レベルが上がるほど、言葉そのものが主役を張る夢になっていきます。
レベル0.言葉が実際に出てくる夢
これは、わざわざ解説するほどではありませんね。
誰かが何かを言ったり、文字が出てきたり、といった、書き言葉や話し言葉など何かしらの形で「言葉が実際に出てくる」夢です。
僕の夢メモでいうと、たとえばこれが該当します。
小さな鉄工所でパッサパサのホールケーキを立ち食いしている
そしたら見知らぬお婆さんに「多摩川を助けちくだせえ」と連呼される
この場合は「話し言葉」ですね。
内容の不思議さはさておき、こういう形で言葉が登場する夢はよくありますよね。
書き言葉、つまり文字でも同様です。
たとえば
は
はま寿司
という看板が出てくる夢を見たら、もちろんそれも言葉が登場する夢ということになります。
主役というほどではないが、夢の中の舞台装置として言葉が登場する。これがレベル0です。
レベル1.言葉が実際に出てきて、かつ言葉が主役の夢
レベル0と同じく、書き言葉or話し言葉が夢の中に実際に出てきて、かつそれが夢の主役になっているタイプの夢です。
たとえば
動物園でサイの檻に「キリヤ」って書いてある落書きを見つける
おそらくサイの説明が書いてあるであろうアルミっぽい看板の上に、爪でひっかいたような筆致で「キリヤ」と書いてありました。
キリヤ以外には他に一切何も起きない、何も登場しない夢です。
動物園にいること、サイの檻の前にいることもまったく重要ではなく、何なら実際に檻の中にサイがいたかどうかすら定かではないです。
「キリヤ」という落書きが、夢のほぼ全て。
なので、心象風景としては
というのが、より正しい記憶です。
言葉が実際に登場して、かつそれが夢のほぼ全て(主役)になっている状態。
これがレベル1です。
レベル2.概念としての言葉が主役の夢
レベル2になると、言葉が主役でありながら、書き言葉や話し言葉といった五感に訴えかける形では登場しなくなります。
どういうことか?
たとえばこちら。
暑い夏の日に、島の大通りを歩いている
そこは名護市江田
突然「ここ、ネゴシエーター(名護市江田だから)じゃん!」と気づいて爆笑する
名護市江田⇒ナゴシエダ⇒ナゴシエーダー⇒ネゴシエーター
この夢を見た時は、起きてからもしばらく爆笑していました。
とんでもないユーモア、とんでもない発見が自分の無意識の奥底から生まれたことに、感動すら覚えました。
名護市江田が「ネゴシエーター」だって、今までに誰か気づいた人がいましたか!?
今すぐ現地まで飛んで行って、みんなに知らせてあげたい!今日からでも使って欲しい!
今こうして書いていても全然面白くないですし、そもそも名護市江田っていう地名は存在しないんですけれども。
レベル2では、誰も言葉を発さないし、文字も登場しません。
しかし上述のように、言葉そのものや、言葉が織りなす不条理やおかしみが夢の主役になっています。
自分の頭の中で完結している「概念としての言葉」が主役となって、それに従ってストーリーや場面が発生・展開する夢。
これがレベル2です。
そもそも夢自体が頭の中で完結しているものなんですけれどもね。
レベル3.概念としての言葉しかない夢
やっとたどり着きました。
これこそ、僕の言っている「言葉の夢」です。
「概念としての言葉」以外、何も出てこない夢です。
誰も何も登場しません。人も、物も、場所も、色も、音も匂いも何もありません。
もちろん話し言葉や書き言葉(文字)が登場することもありません。
なので景色としては
としか表現のしようがありません。
しかし、この夢には言葉が出てきます。
「きことわ」という言葉があるが、実は「きことわ」とは、木(き)・言葉(ことわ)、つまり木霊(=言霊)ということです
という夢です。
衝撃を受けました。
そうか!きことわというのは、言霊(ことだま)のことだったのか!!
多分、全然共感されない気づきと思いますし、しかも間違ってるんですけど、それには理由があります。
まずレベル3は、「●●が~と言っている」とか「●●に~と書いてある」という動詞の夢ではなく、ただただ「~です」の夢です。
夢そのものから一方的に、知られざる真実を教わる。
伝聞や目視ではなく、断定の夢。
繰り返しますが、「きことわとは木霊(=言霊)です」と誰かに言われる夢ではありません。
そう書いてある文字を読む夢でもありません。
ただただ、「きことわ」という言葉そのものに関する断定の夢です。
そして夢を見た僕がそれを受け入れているという、確信の夢です。
先ほど言った通り、夢の景色としては
なのですが、それでも無理やり図に表すとこうなります。
ちなみに「きことわ」は、現実世界では小説のタイトルです。
貴子(きこ)と永遠子(とわこ)という2人の少女が登場するから「きことわ」、ということらしい。
僕は読んだことがありませんが、芥川賞を取った有名な作品なので、どこかで耳にしたタイトルだけが記憶の奥底にこびりついていたのでしょう。
ということで、実際の意味からすれば全く間違った確信です。
そもそも「木霊(こだま)」と「言霊(ことだま)」は違う意味の単語なので、「木霊(=言霊)」という図式すら成立しません。
というわけで、実際には間違っているのですが、僕はこの夢を見てからというものの、きことわの本当の意味は「木霊(=言霊)」だと本気で思ってしまっています。
現在に至るまで。
なぜ、明らかに間違っているのに、僕は本気で「きことわとは、木霊(=言霊)である」と思えているのか?
この「本気で思ってしまっている」というのが重要で、レベル3の威力を如実に表しています。
たとえば普通に起きている時、会社へ向かう電車の中とかでも、ふとした拍子に「きことわって、もしかして木霊(=言霊)っていう意味なんじゃね?」とひらめくことはありますよね。
でもこういう、起きている時にひらめくことって、なかなか本気で確信できないんですよ。
なんというか、起きている時のひらめきって、ポストイットみたいに、脳の表面の部分に貼り付いてるだけの粘着力の弱いひらめきじゃないですか?
ちょっとでも疑う余地があったり、ネットで調べてみて反証が出てきたら、すぐに立ち消えるんですよね。
しかし夢の中で生まれたひらめきは、脳の内側から芽生えたひらめきなので、根が生えているかのように脳への粘着力が強いんです。
本気でそうだと思えてしまうし、起きてから「きことわ」の本当の意味を調べて「貴子と永遠子だからきことわ」という反証を知ったとしても、「でも本当は木霊(=言霊)なんだよなあ」とより一層こだわれてしまう。
夢の中で芽生えたひらめきは、起きてからも熟成され続けることで、徐々に確信に変わっていきます。
レベル2の「名護市江田」もひらめきなのですが、大通りにいるとか、暑いとか、言葉そのもの以外の余計な五感情報が夢に混入しているので、レベル3に比べれば相対的に脳への粘着力が弱い傾向にあります。
寝起きでは爆笑していましたが、寝床でスマホで調べてすぐに名護市江田が存在しないことを知り、きれいさっぱりつまらなくなりました。
純粋に言葉だけの「きことわとは木霊(=言霊)である」という命題は、僕の脳にしっかりを根を張っているんです。
確実に間違ってるのに。
皆さんにとって2+2=4であることがあまりに疑いようなく当たり前であるのと同じように、もう僕は「きことわは、木霊(言霊)」という当たり前から決して逃れられないんです。
というわけで、レベル3の夢、言葉しかない夢には「強い確信」を引き起こす粘着力があります。
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そして、僕が今朝見た「ワークマンのお通し」も、レベル3の夢でした。
ワークマンに居る夢でもなく、店員さんからお通しが出される夢でもない。
どこにもいないし、何も映ってないし何も聞こえないんだけど、ただただ、ワークマンのお通しという言葉があるよね、という夢。
ちなみに、ワークマンは飲食店ではありません。
飲食店ではないということは、お通しはありません。
そんなことは常識でわかります。
わかりはするんですが、そんなことはもう関係ありません。
声もなく、文字もない。
ただただ「ワークマンのお通し」という事実があるだけの夢。
起きた僕は、ワークマンにお通しがあることを確信してしまっていました。
じゃあもう、見つけましょうよ。「ワークマンのお通し」を。