20年ぶりの再会を果たした夜、お母さんと寝ることになった。

 
急な階段を上り、小さいころに約半年間住んでいた部屋に入る。
全然記憶はないけれど、どこか懐かしい感じがした。
 
そして、お母さんと2人きりになれた。
 
この時点で変な緊張感はなくなっていて、
普段からやりとりをしているような親子に戻っていた。
 
「お母さんは会えてよかった?」
「もう死ぬまで会えないと思ってたからね。そりゃ、嬉しいわ」
「30歳までには会いたいと思ってたから、実現できて良かった」
「ホント、よく来てくれたね」
 
灯りを落とした静かな部屋で、
お母さんの声が小さく響いた。
 
 
 
▼翌日
 
この日は、お母さんの姉の家に行くことになった。
やはり僕のことを知っていて、会って早々に涙を浮かべながら喜んでくれた。
 
意を決して熊本を訪れてから、
僕と血が繋がっている家族や親戚がこんなにも大勢いることがわかった。
 
20人以上、増えたんじゃないだろうか。
誰もが「よかったね」と、温かい声をかけてくれる。
 
家族が増えたこと。帰る故郷ができたこと。
どちらも、熊本を訪れるまでは想像もつかなかったことだ。
 
「家族が多いっていいもんやろ?」
「うん、びっくりした」
「何かあったらすぐに頼ったらええんよ」
「わかった」
 
 
 
 
▼お母さんとの別れ
 
 
僕、お母さん、従姉妹のお姉さん、そのお姉さんの旦那さん、
4人で車に乗り込み、熊本空港まで送ってもらった。
 
熊本空港は、霧がとてもかかりやすくて
飛行機が遅れることも珍しくないそうだ。
 
何気ない会話を楽しみながら、雪が積もる空港に到着。
 
出発まで時間があったので、
お母さんと一緒にお土産を選んで時間を過ごす。
 
持ちきれないほどのお土産を買ってもらって、
搭乗ロビー近くに移動する。
 
 
 
▼飛行機が飛び立つ30分前
 
僕は、「ここまでで大丈夫」と、自ら切り出した。
 
これ以上、引きとめるのも悪かったし
何より自分から切り出さないと“別れの覚悟”が決まらなかった。
 
 
「そっか…。健康にだけは気をつけるんよ」
 
 
その瞬間、お母さんの目から涙がこぼれ落ちた。
照れ笑いをしながらも、鼻をすする音が止まらなかった。
 
それを見て、僕もとうとう泣いてしまった。
 
これまでは他の人たちが一緒だったこともあり、
なんとか涙を堪えることができていた。
 
だけど、それももう限界だった。
 
「これが最後になるわけじゃないし、また近いうちに帰ってくるから」
 
「いつでも帰ってきたらええんよ。家族がいっぱいいるんやから」
 
 
・・・・・
 
 
10代のころ、お母さんがいないことを恨んでいた。
 
自分の不甲斐なさを、
すべて環境のせいにしたこともあった。
 
そして23歳のときには、
身近な人の「死」に直面し、絶望したことも…。
 
「最後に、お母さんに会いたい」
 
その願いは叶わなかった。
 
そして、28歳になった僕は東京で暮らしている。
 
編集長のシモダに「早く上京しろ!」と、
尻を叩かれ、必死で貯めた上京資金の50万円。
 
それは、お金では買えない価値となって
今の自分を形成する一部となっている。
 
オモコロの活動を通して、さまざまな出会いに恵まれた。
充実した毎日を送ることができているのは、オモコロのおかげ。
 
その支えがあったからこそ、
こんな企画を実現することができたんだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
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お母さん、僕を産んでくれてありがとう!
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(おわり)