みなさんは人生で挫折を経験したことがありますか?

 

受験での挫折。仕事での挫折。理想と現実の狭間で、自分なりに手を尽くしたけれどそれでもどうにもならないことって、世の中にはたくさんあるような気がします。

 

でも、ひとつだけお伝えしておきたいことがあります。

 

その挫折は、物語になります。

 

もちろん、困難の度合いは人それぞれです。「生きていれば必ずいいことがある、だから頑張れ」なんてことを言える立場でもありません。現実は厳しいこともそれなりに分かっているつもりです。

 

でも、暗闇のなかにいても諦めずに「走り続けること」さえできれば、走り続けただけの世界は見えてくる。少なくともそれだけは、言えるような気がするのです。

 

ここにみなさんにご紹介したい本があります。

 

『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』(著・安田裕輔/講談社)

 

この本の著者である安田祐輔さんも、そんな挫折から「走り続けること」で這い上がった人です。

 

 

安田さんは、発達障害によるいじめ、一家離散、暴走族のパシリ生活などを経て、偏差値30から猛勉強の末に2浪でICU(国際基督教大学)の教養学部国際関係学科に入学。

 

一流大学に入って順風満帆な人生が始まるかと思いきや、卒業後に勤めた大手商社ではうつ病を患い、1年間の引きこもり生活を経験します。

 

人より3年遅れて会社員になり、4ヵ月でドロップアウト……。それが僕の履歴書の全てだった。うつ病なんて、心の弱い情けない人がかかる病気だと昔は思っていた。でも、僕は明らかにうつ病だった。(中略)ちょっとしたことをきっかけに、僕も「異常」だと思っていた世界の仲間入りをした。「異常」と「正常」の壁は、すごく薄いことを知らなかった。「異常」な世界に入るために、複雑な手続きはいらないらしいーー(『暗闇でも走る』より)

 

毎日30錠の薬を飲みながら、暗闇のなかで自分に問い続ける日々。自分のやりたいことは何なのかを悩み続けた先に、安田さんは社会のなかで弱い立場にある人、最も苦しい状況にある人を幸せにするために「何度でもやり直せる社会をつくる」という、自分なりの「正しさ」を見つけます。

 

そして、「勉強」という自分ができる唯一の能力を生かして、2011年に一念発起して中退・不登校経験者向けの受験塾「キズキ共育塾」(以下、キズキ)を立ち上げます。

 

立ち上げ当初は生徒が思うように集まらず困難の連続だったといいますが、半数が挫折経験者の講師陣による生徒の心に寄り添う指導が評判を呼び、着実に事業規模を拡大。現在生徒数は約300名、東京と大阪に5つの校舎を展開するまでになりました。

 

「世の中に必要とされているけれど、これまでになかったもの」を生み出した社会起業家として、今やメディアからも注目を集める存在になった安田さん。彼はなぜ、挫折を乗り越え、人生をやり直すことができたのでしょうか。

 

若者たちに伝えたい「挫折を乗り越えるために大切なこと」を、ライターの根岸達朗が聞いてきました。

 

話を聞いた人:安田祐輔(やすだ・ゆうすけ)

1983年神奈川県生まれ。国際基督教大学(ICU)教養学部国際関係学科卒。大学卒業後、総合商社勤務を経て、中退・不登校経験者向けの受験塾「キズキ共育塾」を立ち上げ、現在同代表を務める。中退予防のための大学への講師派遣・研修、貧困家庭の子どもの学習支援プロジェクトなども立ち上げ、多岐にわたるアプローチで若者を取り巻く社会問題と向き合っている。

 

逃げてもいい。でも救いは求め続ける

根岸「安田さん、今日はよろしくお願いします。まずは安田さんが挫折を乗り越えて立ち上げた受験塾『キズキ』について教えてください」

安田「はい。キズキは不登校・中退・ひきこもり・うつ・発達障害・再受験など、もう一度勉強したい人のための個別指導塾です。講師のほとんどが挫折の経験者ということもあって、挫折した人の気持ちに寄り添えることが僕たちの強みにもなっています」

根岸「なるほど。僕もうつで会社に行けなくなったことがあるのですが、今の世の中って、本当にいろんな困難を抱えている人が多いなあと感じていて」

安田「そうですね。不登校やうつなど、何かしらの課題を抱えて社会から孤立しかけている若者は、ここ30年で割合にして3倍くらいに増えていると言われています。社会と個人のあり方が不適応になっている。原因はひとつではないと思います」

根岸「多様性という言葉が注目を集める時代ですが、まだまだあらゆる場面で『普通』であること、つまり『みんなができることは、できて当たり前』が求められています。だから、学校や会社の『普通』に合わせられなくて苦しんだり、自分はだめな人間だと思ってしまったりする」

安田「そうなんです。それが子どもであれば不登校、大人であればうつというかたちで現れてくる。そうして落ち込んだ人間ほど、人に触れるとまた失敗するかもしれないと思ってひきこもっていく。状況が苦しければ苦しいほど、まわりとの関係を絶ちたくなるのが人間です

根岸「負のスパイラルですね。そうして体もどんどん衰弱していくわけで……」

安田「ええ。僕も会社を辞めてうつ病でひきこもっていたときは体がボロボロでつらかったですね」

一日30錠近くの薬を飲んでいたため、幻覚が見えていた時期もあった。(中略)食欲もなくなり、体重は40キロ台にまで落ちた。身長はうつ病になっても当然変わらないので、176センチ47キロというガリガリの体型になった。食欲がわかない中でも体重を戻したくて、カロリーの高いピーナッツばかり食べていたら、肌がニキビだらけになったーー(『暗闇でも走る』より)

 

根岸「大切なのは、そこでどう人生を諦めずにいられるかですよね。安田さんは何とか気持ちを前に向けて、週末だけはかつての同僚だったり、学生時代の仲間に会おうとしていた。だから救われたところがあったわけで」

安田諦めずにほかの人に救いを求め続けることは大事なんです。そうすれば、誰かがかならず手を差し伸べてくれるし、チャンスも与えてくれる」

根岸「会社や学校が合わないなら、そこから逃げ出してもいいと」

安田「はい、もちろんです。その瞬間はとてもつらいかもしれない。でも、そこに合わなかったからといって、そんな自分を見限る必要はないと思っています。遠くまで行くのがつらければ、地域のNPOや地域活動などに参加してみるのもいいと思います」

根岸「僕もうつでしたが人とつながらないとヤバいことになる気がして、外との接触を絶たないようにしたのはよかったと思っています」

安田「一歩の出し方っていうのは人それぞれでむずかしいんです。自分で一歩を踏み出せる人もいれば、そうでない人もいる。でも、僕はそのなかなか一歩が踏み出せない人にも、諦めずに一歩を踏み出してもらえるようにしたい。そのためには、まわりの人がどれだけの希望を見せてあげられるかが大事だと思っているんです」

 

「絶望」を「希望」に変えること

根岸「希望というのはつまり、人生を諦めなくてもいいのかもしれないと思ってもらうということですよね」

安田「はい。キズキでいえば、僕はその希望をまずはホームページから感じてもらえるようにしているつもりです。スマホで寝転んで、『不登校 進学』とか『不登校 受験』で検索した時に、うちのホームページが上の方に出るようにしているのはそのためです。実際、ホームページを入口に初めの一歩を踏み出してくれる人は多いです」

 

根岸「でもそこから塾に通って、勉強を続けられるようになるかというと、またハードルがありそうですね」

安田「今は必死に頑張っているキズキの生徒たちも、相談に来た当初は『人よりも遅れてしまった』『もうやり直せないかもしれない』と悩んでいました。不登校や中退は、クラスで数人くらいしか経験しないような特異なことなので、そんな経験をしてしまったが故に、『自分は特別に劣った存在だ』と思ってしまうんです」

根岸「どうやってそこから希望を感じてもらうんですか?」

 

安田「僕はそんな若者を前にしたときに、まず自分の話をしたり、キズキで働く講師たちの話をしたりします」

根岸「ふむふむ」

安田「例えば、僕は2年遅れで大学に入って休学もして、3年遅れで卒業した。ある大学生講師は、高校中退してずっとひきこもって、4年遅れで大学に入学し、誰もが知っている大手企業の内定をゲットした。考えてみれば当たり前なんですけど10代の挫折で人生が決まるわけがないんです

根岸「そうですね」

安田「そもそも学校という制度自体、140年くらい前に『誰かがつくったもの』。合わない人がいても当然です。そんな話をすると、相談に来た若者が少しだけ顔を上げてくれるのを感じますね」

根岸「まず、相談に来ていることが『人生このままでいいと思ってない』証だと思うし、まずはその勇気をちゃんと評価してあげることも大切なんでしょう」

安田「はい。でもそのときに、闇雲にこれからは『頑張ればなんとかなる』ということを伝えてもだめだと思っています。そもそも困難な状況にある人たちは『頑張れない』ことに悩んでいる。じゃあどうしたら『頑張れる』ようになるか。大切なのは『頑張った』先の未来を想像できるようにしてあげることです

根岸「頑張った先の未来」

安田「これは中退・ひきこもりの若者だけに限った話ではありません。大きな挫折経験のない人でも、実現不可能に見えるすごく高い目標に対して、努力し続けられる人は少ない。だから日々の会話を通じて、少しずつ希望を提供する。それが支援の第一歩だと考えているんです」

 

その挫折は、物語になる

根岸「時間はかかるのかもしれないけれど、あのとき挫折していたからよかったって思えたらいいですよね。僕も今フリーライターをやっているのも、会社勤めが合わないという自分なりの挫折があったからだなあって思いますし」

安田「僕も親の離婚、暴走族のパシリ、中退、ひきこもり……いろんなことを経験してきたけれど、それがあったから、社会のなかでつまずいた人の気持ちが分かるようになった。『何度でもやり直せる社会をつくる』という、自分が人生をかけてやりたいことも見つけられたんだと思います。

何かしらの挫折を経験した僕らは、ラッキーなんですよ

根岸「ラッキー。確かになあ……」

安田「僕の好きな言葉に、マッキンタイアという政治哲学者の言葉があります」

『私は何を行うべきか』との問いに答えられるのは、『どんな(諸)物語の中で私は自分の役を見つけるのか』という先立つ問いに答えを出せる場合だけである」(『美徳なき時代』アラスデア・マッキンタイア著、篠撝榮訳/みすず書房)

 

安田「『時間』の力は偉大で、いつかすべてを癒してくれます。それだけではなくて、『時間』はその苦しみを『物語』に変えてくれます。

その『物語』の中で、自分はどんな『役』を見つけるのか。それに答えを出せたときに『今、何をすべきか』が現実的に見えてくるんでしょう」

根岸「なるほど。ただ、いくら挫折は物語になるとはいっても、その渦中だとなかなかそうは思えないものですよね。どん底の状態から抜け出すために必要な思考法ってあるんでしょうか?」

安田「まず、『考え方をずらしてみる』ことですね。『こうじゃなきゃいけない』という思い込みをできるだけ外すことが大事。早起きして会社にいかなくちゃいけないとか、人とうまくコミュニケーションできないといけない、とか思わなくていい」

根岸「ああ。僕も『社会人とはこういうものである』という謎の幻想に囚われていたようなところがあったなあ……(しみじみ)」

 

安田「現代社会において『こうしなければならない』はほとんどないですよね。『学校』という仕組みも『会社』という仕組みも、所詮は誰かが作り出したものに過ぎません。

だからその仕組みになじめなくてもがいているのであれば、逃げ出して新しい道を探してもいいんです。それが挫折を物語にする第一歩です」

根岸「勇気を持って、逃げ出すのも大事ですね」

安田「そうですね。多くの人から賞賛されるような学校に行くことや、給料が高くて有名な会社に勤めることよりも、自分の『物語』に沿って、自分の納得する道を歩んだ方が幸福や自己肯定感には繋がるんだと思います。あともうひとつ大事なのは、『変えられるもの』だけに注目するということ

根岸「変えられるもの?」

安田「たとえば僕の場合、発達障害があること、温かい家庭に生まれなかったこと、早起きが苦手なこと、人とのコミュニケーションが苦手なこと……そういうものは『変えられない』。

誰しも人間は生まれ持った条件の中で生きなければならないから、『変えられない』ものを『変えようとする』のは諦めた方がいいんです

根岸「大切な考え方ですね。絶対に『変えられないもの』を無理に『変えようとする』から、コンプレックスだって強くなるわけで。天然パーマがコンプレックスでストレートパーマをかけてみたら、違和感がすごいみたいなのと一緒だなあと。昔の僕のことですけど。はははは……」

安田「僕は早起きができないから仕事は昼からするようにしているし、対面のコミュニケーションが得意ではないから、誰かと揉め事があったときは文章で考えを伝えるようにもしています。『変えられないもの』は『変えられないもの』として受け入れることも大切なんですよね

根岸「いやー僕はそういうことに、結構最近まで気付けなったかもしれないなあ……」

 

安田「気付けてよかったじゃないですか。これも僕が好きな言葉のひとつなんですけど、アメリカの神学者ラインホルド・ニーバーの『ニーバーの祈り』をご紹介したいです。彼の言葉は、アルコール依存・薬物依存の治療メソッドのなかで広く使われています」

神よ

変えることのできるものについて

それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。

変えることのできないものについては

それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。

そして、変えることのできるものと、変えることのできないものとを識別する知恵を与えたまえ。

(訳:大木英夫)

 

安田「僕は特定の宗教を信仰しているわけじゃないけれど、この言葉がいつも強く響くんです。なぜなら僕には『変えられないもの』がたくさんあったから。

でも一方で『変えられたもの』もあった。それは僕の努力というよりは、偶然出会った人たちのおかげだったと思っています。そういう人たちに出会えた僕は、やっぱり運が良かったんです

 

「運の良さ」を認める

根岸「それでいうと今回の本でも、安田さんは『自分は運が良かった』ということを意識的に書かれていましたよね。そのあたり、もう少し詳しく話を聞かせてください」

安田「実際、僕は本当に苦しんでいる人たちよりも運が良かった部分が結構あるんです。親が予備校のお金を払ってくれたこととか、中学受験のために小学生のときに勉強していたこととか……やり直しがしやすかった部分もあるんですよね」

根岸「なるほど」

安田「でも、この仕事をしてきて、自分なんかよりももっと苦しい状況にある人たちが、それでも挫折を乗り越えて頑張って生きていこうとしていることも知ったんです。

小さいときにまったく勉強してないから、20歳を越えても小数点の計算ができない。けれど、どうにか人生をやり直したくて僕たちのところに来てくれた人もいて」

根岸「そうなんですね」

安田「そういう人たちが人生をやり直すには、僕がやってきたことより、もっともっと大変な勉強をしなければいけません」

根岸さらにお金がないとなったら、やり直したくても、どこの教育機関にも頼れませんよね」

安田でも、僕はそういう人たちを絶望させたくなかったやっぱりうちにはお金がないからとか、この人みたいにはなれないからと思ってもらいたいたくなかった。だから自分は運が良かった、ということをまずは認めようと思ったんです」

根岸「それは人生の本質なんだと思うなあ。今この瞬間に自分が生きているのはすべて運のおかげ。それを認めてから始まる人生もあるような気がするんです」

安田「今でもよく夢の中で、すべての人に見捨てられて誰も助けをくれない時があります。でも、目が覚めて少し経つと、『あぁ、もうこんなに苦しいことは起こらないんだろうな』って思う。オフィスに行くとたくさんの人たちの笑い声が聞こえます。毎日大変ことばかりだけれど『もう少しだけ頑張ってみるか』って思うんです

 

 

まとめ

人は挫折します。それは自分がこうありたいという理想があるから挫折するのだとも思います。でもその理想ははたして、現在の状況に苦しみながら、「我慢して」でも叶えなくてはならないものなのでしょうか。つらい気持ちになるくらいの理想なら、いっそ諦めることだって必要なのではないでしょうか。

 

もちろん、その理想が心の底から実現したいと思えるものであれば、我慢は我慢でなくなるのでしょう。だからもし、我慢が耐え難いと思うような理想であれば、それは真の理想ではない可能性だってあります。

 

僕は今回、安田さんの話を聞きながら、人生を健やかに生きるためのヒントは、自分なりの「正しさ」のなかで理想を持つということなのではないかと感じました。

 

誰かからあてがわれたものではなく、自分の「正しさ」に目を向ける。それが「正しい」と思える、美意識を持つ。それは、正解も不正解もない世の中で、何を自分は信じられるかということでもあるのでしょう。もしそうして信じたものが「違った」としても、その都度舵を切ってもいいくらいの世の中が僕は好きなんだなあ、ということもあらためて感じた今回のインタビューでした。

 

最後に、安田さんの言葉を紹介します。

 

 

安田さんが代表を務めるキズキグループでは、不登校・中退者向けの学習塾の運営に加えて、今後はうつ・発達障害の人向けに特化したビジネススクールの展開も考えているそうです。

 

安田さんが発起人のひとりとして始まった貧困家庭向けの「スタディクーポン」も、さらなる普及を目指していく考えとのことなので、こちらもぜひ注目してみてください。

 

ではまた!

 

 

写真:藤原慶(instagram

 

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