世の中には数多くのフォトスポットが存在している。

 

この前、偶然見かけたフォトスポットがとても良い感じだったので、人に見せたのだが、首をかしげながらこう言われてしまった。

 

 

「なんで一緒に写ってないの?」と。

フォトスポットという空間だけを見て混乱したらしい。

人が写っていないフォトスポットは魂の抜けた空間のように思える。私は、その何かが足りない混沌とした空気をどこか心地良く感じてしまう。

 

だから無人のフォトスポットを撮りためている。

 

ハッとさせられたのは、マグロのぬいぐるみだけが横たわるフォトスポットだった。なにか新しいものに触れたような新鮮な気持ちになった。

 

 

庵野秀明展のフォトスポットもよかった。

本来ならヒーローたちの中央に立って写真を撮るべきなのだろう。でも、主役の彼らが気を遣って真ん中を空けている様子は、なんだかいじらしい気持ちにさせられた。

 

 

 

水族館の入り口にあったフォトスポットは大人気だった。

 

誰とも背を比べないマグロ。そういえば縦になっているマグロを見たことがない。天を仰ぐマグロはどこか神秘的だった。

 

 

 

顔なしパネル

 

ひとりの時にパネルの穴に顔をはめて撮影するのは至難の業だ。なので、顔をはめずにパネルだけを写した記念写真が残る。

 

私は空洞の顔部分を見返す度に、いろいろな思考をめぐらせる。

 

 

キティちゃんのように純真無垢な表情でハマればよかったのだろうか。

 

 

私の顔がミーアキャットの母に似ていれば、穴にスッとハマれたのだろうか。

 

 

二本足で立つレッサーパンダの勇ましい表情ができれば、顔の穴を埋められただろうか。

 

 

 

何度だって思うのだ、「一体どんな顔を出せばよかったのだろうか」と。

 

私は無い顔の部分を考える時間がけっこう好きだ。

 

 

 

カップルの聖地

 

旅行中に素敵なベンチを見かけた。離れて座っても2人の体が自然とくっついてしまうというものだ。間違いなくツーショットを撮るべきスポット。しかし、カップルはいない。

無人のフォトスポットには不完全の美がある。その静寂さに心が震えてしまう。

 

 

だから座面の角度が大胆なベンチを見かけた時はすごく興奮した。座ったカップルがひっくり返ってしまうかもしれないと想像すると気が気じゃない。静寂の中の興奮。

 

 

ハートのモニュメントは観光地の王道フォトスポットといっていいだろう。

 

 

空っぽのハートだけが宙を漂っているような、そんな侘しさがたまらない。

 

 

背景の細かい情報をじっくりと読み取れるところも無人ならではの強みだ。

 

 

 

でも、ある時ふと思ったのだ。

 

「羨ましい……」と。

 

いろいろ言ってきたが、フォトスポットが一番輝くのは、そこに人が立った時だ。

やっと気がついた。

心の底では私もフォトスポットに立って写真を撮りたいと思っている。

 

しかし、実現するのは当分難しいだろう。だって恥ずかしいから。まずポーズをどうしたらいいのかが分からない。ピースをすればいいのか?

私はフォトスポットでの振る舞いを何も知らない。

 

だから、いつかフォトスポットに立つために、まずはポーズの研究をしたいと思った。

 

 

>> オフィスにフォトスポットを設置してみる <<