広場に来た。さすが「広くてひらけた場」と書いて「広場」というだけある。
開放的で気持ちがいい。
ところで、みなさんに見てほしいのだが、この前こんな広場を見かけた。
信じられないぐらい狭い広場
ここが本当に「広くてひらけた場」こと「広場」?!
広場という概念を覆されて腰が抜けそうになった。
ベンチに座ってみると、私の7畳の部屋と同じ感じがした。落ち着く狭さだ。落ち着くけど、どうしても戸惑いが消し去れない。
さらにこの住所みたいな独特なネーミングが混乱を加速させた。一体なんなんだ。
もしかして「(町名)●●号広場」という名前で他にもこういう狭い広場があるのかもしれないと思い、ちょっと調べてみた。
約50箇所が見つかった。嘘みたいにある。しかも全て千葉県の船橋市内にあるらしい。こわい。
狭すぎる広場が大量発生している……? ゾッとしてしまった。船橋市でなにが起こっているというのか。
……話は変わって、私には憧れの人がある。
ダイダラボッチだ。
【ダイダラボッチとは】
日本の各地で伝承される巨人。山や湖沼を作ったという伝承が数多く残っている。でいだらぼっち、だいだらぼう等とも呼ばれる。
私は身長が低いので長身に憧れている。なんならダイダラボッチぐらいの巨人になって、人々や大地を見下ろしたいぐらいだ。
希望をいうと、広場に立った時これぐらいの大きさになりたい。
ただ、現実的に巨人化は無理だ。そこで思いついた。
先ほどの狭い広場を使ってみたらどうだろうか。
狭い広場に堂々とした感じで立ったら、相対的に自分のサイズが大きく思えるのではないだろうか。大地を見下ろす巨人の気持ちになれるに違いない。いや、違うかもしれない。正直わからない。
でも私は行くしかないのだ、狭い広場に。
そして巨人になる。
山野町2号広場
休日の朝9時、狭い広場めぐりの幕開けだ。
狭い。だけど、れっきとした広場だという。
市内で2番目に敷地面積が小さい広場で、18.92㎡=約10畳のスペースがある。植え込み部分が3分の1を占めているので、体感としては6畳部屋ぐらいの広さだ。
青空の下、ベンチに座って気持ちを整える。
広場なのに狭い。広場をこんなに狭く感じるだなんて、私ったらもしかして巨人なのかもしれない、と。
体長約4cmの小さなジオラマ人形を取り出した。
狭い広場と指先ほどの小さな人間が揃えば、相対的に私は巨人になれるはずだ。
実際にやってみよう。
ずしーん……ずしーん……
「小さき者たちよ。私は巨人。ここは広場というのか? なるほどコンパクトでなかなか落ち着く場所ではないか」
巨人になれた。本当に? なれているのか? 巨人になるのは初めてだからまだ勝手が分からない。
こういう感じで一日かけて狭い広場で巨人の気持ちになっていく。
海神町南1号広場
続いて変わった形の広場に来た。マンションに沿ってL字の形をしている(赤い部分)。
細長くて横幅が狭いので、仁王立ちをしたら広場の両端に足が届いてしまう。
広場を軽々とまたぐ感覚に巨人の気持ちがむくむくと湧いてきた。
普通の広場ならこのように縦横無尽に走り回れるものだが、
巨人ともなると、広場をまるでランウェイのごとく歩み進めるのだ。
私は巨人。
そこにいる小さき者よ、とくと見るがよい。私の広場ランウェイを。
夏見台1号広場
道路のカーブに沿った三角形のスペース、あれが広場らしい。
広場のしっぽだ。「広場はここまでですよ」という千葉県の境界プレートが先っちょにあった。千葉県のお墨付きなら誰がなんと言おうとこの先っちょまでが広場なのだ。
狭い広場にはイスやベンチがマストらしい。「走り回るスペースはないですが、イスに座って休憩でもしていってくださいね」という気遣いを感じられる。腰をやっている大人にもありがたい配慮だ。
ありがたくイスを使わせていただき、ここでは憧れの巨人である茨城県のダイダラボウという巨像になってみることにした。
これになりたい。
私は伝説の巨人。小さき者たちよ、恐れるでない。私の手にかかれば山ひとつ容易く動かせよう。
私が歩けば足跡に水がたまって湖になり、指でなぞれば川も流れる。大地に息を吹けば広場にもなるだろう。
なぜだろう、少し寂しい気持ちになった。巨人という生き物は孤独なのかもしれない。
市場1号広場
市内で一番狭いのがこちらの広場だ。敷地面積は18.53㎡。なんと家と家の間にある。
植え込み部分を抜かすと幅は1mしかない。巨人にはたまらない狭さだ。
たまらなくなった巨人の私は走り出した。奥行は5mぐらいだろうか。7歩で完走できた。楽勝だ! うれしい!
私は巨人。どうだ、まいったか!
広場が狭ければ狭いほど自分が大きくなったような感覚になり、気も大きくなってしまうことがわかった。傲慢な巨人にならないように気をつけたい。
しかし一番狭い広場のおかげでもう迷いはない。私は一人前の巨人になれたのだ。