落語に「金玉医者」という噺がある。その名の通り、金玉を見せる医者が登場する噺だ。

 

「これだから落語って…」「つまんなそ〜」「いかにも前時代的な発想だわ」なんてことを思う前にちょっと聞いてほしい。

 

 

金玉医者のあらすじをざっくり説明すると…

 

とある旦那には病に伏せている娘がいた。彼女の病は精神的なもので、数多の医者が手の施しようがないとさじを投げた。

 

そこへとある医者が現れる。いかにも胡散臭い男で、治療自体も、病人の部屋で「世の中は広大無辺なり」「愛こそ全て」などと説法めいたことを説くだけ。

 

ところが、次第に娘は元気になっていく。

 

不思議に思った旦那が尋ねると、実は治療中に小難しい話をしながら、はだけた着物の裾から金玉を覗かせていたのだという。

口では立派なことを言っているくせに、間抜けに金玉を見せているものだから、娘は笑う。そうやって心をほぐしているらしい。

 

「金玉に治療費を払っていたとは」と憤慨した旦那は、金をケチって自分の金玉を見せることにするが、それを見た娘は目を回してぶっ倒れた。

 

慌てた旦那は先の医者に泣きつく。

「先生を真似してやってみたら娘が卒倒して…」

「どういう風に見せました?」

「丸ごとボロンと」

「いっぺんに全部見せた?
 そりゃいかん、薬が効きすぎた」

 

 

どうだろうか?

 

まあ、確かに下品と言う人もいるかもしれない。落語ファンの間でも「こんなイカれた古典落語があってね」みたいな文脈で語られるケースがほとんどだし、演じる噺家もそんなに多くないと思う。

 

ただ僕はこの噺がすごく好きだ。一見バカバカしい噺だけど、僕はこの金玉医者を経典のように崇めている。

 

自分勝手なロマンを挟み込んで解釈すると、金玉医者は今で言うカウンセラーと言えるだろう。まさに、鬱病を笑いで治す和製パッチアダムス。

 

ものの本によると、この噺のモデルとなった高橋玄秀という名医が江戸時代にいて、ちんこを見せて患者の心の病を治したという逸話があるらしい。落語という形で100年以上もの間、彼の存在が語り継がれてきたのは、そこに真理めいた何かが在るからなのだと僕は信じてやまない。

 

金玉が刺激的なら、これを「恥部」と読み替えよう。つまり、病んだ人すら笑顔に変える何よりのツールは、誰かをあげつらう皮肉でもなく、愚かに振る舞う道化でもなく、気の利いたユーモアでもない。ただ己の恥ずかしい面をさらけ出すだけでいいということだ。

 

特別な才能も資格もいらない。
恥部なら人は誰でも持っている。金玉なら男は誰でも持っている。笑いを生むための宝物は、皆に平等に与えられているのだ。金玉医者は僕らにそう教えてくれる。

 

 

 

誰かを傷つける必要も、己を卑下する必要も、頭をひねる必要もない。抜き身の君こそ素晴らしい。

 

 

見せよう、金玉を。

 

 

出そう、ちんぽを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺?

 

俺はやんないよ。恥ずかしいし。

もっとスマートにカッコよくウケたいもんね。

 

 

 

 

おしまイチモツ╰U╯

 

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