交尾しながら飛んでいるコバエは、一層強く叩く。
家にいるときに気が付いた真理である。

それまで寛いでいた私が、コバエを見た途端バーサーカーになる。どこまでも追いかけていき、ドンキーコングのように手の平で打ちつけるのだ。

なぜだろう。
思い当たる節がいくつかある。

 

まず、単体のコバエに比べて動きが鈍いということがある。
当然だ。

単体のコバエが、自分の意思で右へ行ったり左へ行ったりできるのに対し、交尾中のコバエは2匹が離れないようにしながら飛ばないといけないからだ。

独身のときのように自由にはならない。だから、目で動きが追いやすく、自信を持って叩くことができる。

 

放っておくと、すぐに子供を産まれてしまうのではという危機感もある。

今を逃したら、台所かどこかで卵を産みつけるのだろう。

「コバエよ。家で卵を産むのはやめて、公園かどこかで産みなさい」とでも言えればいいが、話の分かる相手ではない。

交尾も始まっているし、興奮してそれどころではないのだろう。

コバエからしたら、完全に生命の晴れ舞台、クライマックスなのだから仕方がない。

結果、彼らの活動を物理的に停止させるという、緊急の手段を取ることになる。

 

1度で2匹殺せるというお得感も魅力だ。

サイコ野郎と言われるかもしれないが、そう思ってしまうものは仕方がない。

ドッジボールで投げたボールが2人に当たり、同時にアウトにできたような嬉しさがある。

ティッシュにコバエの亡骸を2つ並べ、ほくそ笑んでいる私がいる。「よしよし。ダブルだ」と思っている。

 

そして、勝手に人の家でロマンスを繰り広げられることへの怒りである。

憚ることのない、いちゃつきをやめろ。

怒りの成分として嫉妬はあるが、それ以上にモラル面での不快感が強い。新宿駅の改札辺りで堂々とキスしているカップルを見たときに似た感情だ。

「なんで日常パートでそんな生々しいもん見せられなきゃならないんだ」言葉にするとこんな感覚に近い。

だから余計に親の仇とばかりに襲いかかってしまう。もちろん、新宿駅のカップルにではない。コバエにだ。

 

こうして見ると、随分と複雑な感情でコバエを叩いていることが分かる。

因みに玄関の前に時折いるカナブンは、ちり取りですくって、遠くへ投げる。

そのときの感情は、完全な無だ。

 

 

 

 

他の「文字そば」を読む