第3回「ハレグゥのOPでかまどは踊る
  

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OP/いとしいご主人様 ED悲しみのラブレター
唄/森の子町子

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放送ゴキーかまど

 

This man

 

 男はそこに立っていて、何をするでもなく顔をこちらに向けている。その目は、私を見つめているようでもあり、うつろに惚けているようでもあった。
 男はそこに立っていて、口元にとぼけた薄笑いを浮かべている。それはどこか空々しく、私を不安な気持ちにさせた。
 私は男に何かを問いかけたようとしたが、その声は音になりそこなって、虚空に溶けていった。男はニタニタ笑いながら、身じろぎひとつせずに、そこに立っていた。

 

 

 目が覚めると、いつもの天井が目に入った。ナメクジが這うように、滲んだ汗がこめかみをにじり落ちる。私は膿んだような気持ちから逃れようと寝返りを打ち、カーテンの隙間から覗いている鈍く白んだ空を一瞥すると、誰に言うでもなく呟いた。

 

 またあの夢だ。

 

 

 

 

 

「知らない男が夢に出てくる?」
「そう。それもほとんど毎晩よ」
 私なりに意を決して打ち明けてみたのだが、夏菜の耳には、オカルトチックな話に聞こえたのだろう。確かに、昼下がりの喫茶店で話すには、あまり似つかわしくない話題だったかもしれない。夏菜は、ストローの先でグラスの氷を転がしながら言った。
「悩みっていうからには、もっと大層なことを抱えてると思ったよ」
「いや、別に悩んでるわけじゃないんだけど、不思議なこともあるもんだなと思ってさ」
 私は気恥ずかしくなり、ほんの少し嘘をついた。こうなってみると、別段かしこまって打ち明けるほどのことではなかったような気がしてくる。
 確かにここ数ヶ月の間、私は知らない男が現れるという悪夢に悩まされている。とは言っても、別にその男に殺されたり、追いかけられたりするわけでもない。ただ見知らぬ男がこちらをずっと見つめているだけだ。毎晩同じ夢を見るというのは不気味ではあるが、ただそれだけのことを悪夢だと思うのは少し大仰すぎただろうか。

 別の話題を探す私に、夏菜は問いかけた。
「人間ってさ、なんで悪夢を見るか知ってる?」
「さあ。なんで?」
「悪夢から目が覚めた時ってさ、『あぁ、夢でよかった……』ってちょっとホッとするでしょ?」
「まあ……そうかもしれない」
「毎日がストレス続きでリラックスできてないと、その緊張をほぐすために脳がバランスを取ろうとするんだって。だから悪夢を見せてでも無理やりホッとさせて、急ごしらえの安心感を与えようとするらしいよ」
 めちゃくちゃな理屈だと思った。突貫工事の安心感よりも、悪夢の不快感の方が勝るに決まっている。
「嘘でしょ?」
「多分そうだね」
 夏菜ははじけるような笑い声をあげた。
「でもさ、そう考えて気が楽になるんなら、眉唾物でも信じてみていいんじゃない?」
 彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。理屈自体はとても腑に落ちるものではなかったけれど、夏菜が快活に笑い飛ばしてくれたことで、いくらか救われる気がした。
「要するにさ、日頃疲れてて、そのストレスで悪夢を見て、その悪夢でまた悩んで、その疲れでまた悪夢を見て……っていう悪循環になってるんだよ。どっかで一息ついてさ、ゆっくりリラックスしたら?」
「ありがと。ごめんね、変な話しちゃって」
「いいよ。私もインチキな話しちゃったし、おあいこでしょ」
 手元に視線を落とし、グラスの氷を転がす作業に戻った夏菜は、最後に付け加えるように言った。
「ま、気にすることないよ」

 

 

 

 

 

「毎日同じ夢を見る、かあ」
「そうなんです。不思議ですよね」
 黒野教授は棚にファイルを詰めながら、怪訝な声をあげた。
「僕はそんな経験ないなあ」
「多分珍しいことだと思いますよ。私もこんな夢見るの初めてですし」
 私が顔を上げると、黒野教授は棚に並ぶファイルの背表紙をうつろに眺めながら、腰に手を当てて黙り込んでいた。
「先生、手が止まってます」
「ああ、そうだね」
 研究室の引っ越しは、予定ではすで完了しているはずだった。しかし、ファイル整理は僕がやっておくよ、と言ってからの黒野教授の怠慢ぶりは酷いもので、1週間が過ぎてもファイルの山が一向に減らない現状に、私もほかの院生もうんざりしていた。このままでは埒があかないので、結局こうして私が手伝いをする羽目になっている。
「星野さんさあ」
 黒野教授は、再び手を止めて、すがるような声で言った。
「なんでそんな話するのよ。僕、この手の話は苦手なんだよ」
「別に怖い話じゃないですよ。なんでこんな夢見るのか、不思議ですねって話です」
「そういうのは、心理学とかを専門にしてる教授に聞けばいいだろう。なんで僕に聞かせたのよ」
「ただの雑談なんですから。相手なんて誰でもいいんです」
 黒野教授が思いのほか神妙に受け取ってくれたので、私は少しいい気になった。夏菜に相談してからも、相変わらず例の悪夢は続いていたが、彼女の助言通り、最近ではあまり考えないようにしている。そんな中で見せた黒野教授の反応は、なんだか滑稽で、例の夢が持つ得体の知れない不気味さを忘れることができた。
「で、その夢に出てくる男ってのが、私も会った事ない全然知らない奴なんですよ」
「星野さん。僕をからかってるだろ」
「先生の手が止まるたびに続きを話してあげましょうか」
「やめてくれ」
 黒野教授は話題から逃れるように、いそいそと作業に戻った。この調子なら、今日中にファイル整理も終わるかもしれない。

 作業もそろそろ終わりが見えてきた頃、黒野教授は大きく伸びをしつつ、私に語りかけた。
「そういえば、夢に出てくる人物ってさあ。夢を見ている人がそれまでに目にしたことのある人しか出てこないらしいね」
「へえ。そうなんですか?」
先生の言葉に、私は生返事を返した。
「でも、私が話したその男って、夢以外の場所では本当に会ったことないんですよ?」
「その夢ってのも、結局は君の脳が見せているんだしね。君が見たことのない人間のイメージは作り出せないはずだよ。だからその男は、実はどこかですれ違っただけの他人かもしれないし、テレビでチラッと見かけた無名の役者かもしれない。さらに言えば、これまで出会った人をまぜこぜにして、新しいイメージを作り出しているのかもしれないよ」
黒野教授は光明を見出したかのように、話を続けた。
「ほら、街中でも、別に特徴的じゃないけど、なんか気になるって人いるじゃない。星野さんもどこかでそういう人を見かけたんだよ。無意識でその人のことが引っかかっててるんだけど、ほんのささいな出会いだったからそれが思い出せない。それが歯がゆくて脳がモヤモヤしてるから、その人の夢を見せてなんとか思い出そうとしてるんだな」
 我が意を得たりとまくしたてる黒野教授が、なんだかおかしかった。なるほど、急造にしては、なかなか筋の通った理屈のようにも思える。
「なんかそれ、自分に言い聞かせているみたいですね」
「どうとでも言ってなさい。ああスッキリした。きっとそうだよ、そういうことにしておこう」
 黒野教授は一人で何度もうなずき、つかえが取れたような顔で、最後のダンボール箱に取り掛かり始めた。

 

 

 

 

 

「毎晩同じ夢ばかり見るんだって?」
「あれ? 安藤くんにその話したっけ?」
 安藤くんとは、バイト中によく話をする仲だ。シフトがかぶることも多く、休憩時間のほとんどが、彼とのよもやま話で消化されていく。
「いや、夏菜に聞いた。なんか悩んでるらしいな、あいつも心配してたよ」
「そういうことか。別にもう悩んでないよ。夏菜にも言っといて」
 深刻ぶっていたその時の自分が思い起こされて、少しバツの悪い思いがした。
「じゃあ、その夢はもう見なくなったんだ?」
「いや、実を言うと今でもたまに見る。でも、他の人に話したらなんかそんなに思い悩むようなことじゃないのかも、と思って、最近じゃあまり気にしないようにしてるんだ」
「ふうん」
 内心ではどう思っているか分からないが、安藤くんは特に動じる様子を見せなかった。相手の悩みや問題を、さもどうでもいい事のように扱ってみせることで、こちらの不安を和らげようとするのは、不器用な彼なりの配慮だ。私は、からかうようにいった。
「あれ、心配してくれないんだ」
「別に珍しいことでもないだろ。俺も高校生のとき、そういうのあったしさ」
「へえ」
 彼の思いがけない言葉に、私は間抜けな声をあげた。
「こういうのってよくある話なの?」
「夢分析とかでよく見かけるけどな。 同じ夢を何度も見るのは、無意識がその人に何かを知らせようとしているサインだって話」
 いまいち飲み込めていない私に、安藤くんは噛んで含めるように説明を続けた。
「自分の身の回りに何らかの問題が迫っている。でも肝心の自分の意識はそれに気づいていない。だから無意識が懸命に同じ夢を見せて、何か身の回りで問題が起こっていることを気づかせようとしている。まあ、ざっくりいうとそんな話だな」
「初めて聞いた、そんな話。安藤くんの時も何か問題が起きてたの?」
「いや、本当大したことない話だよ。借りたノートを返さないまま忘れてた、とか確かそんなことだったと思う。今になってみればどんな夢を見てたかも思い出せないな」
 自分の奇妙な夢が共感性を帯びた事、そして、経験を伴う理屈が付け加えられた事に、私の気持ちは少なからず高揚していた。

 すっかり気が休まった私を見ると、安心したように安藤くんは立ち上がり、自分のロッカーからタバコを取り出した。
「じゃ、喫煙所行ってくる」
「あれ、タバコやめたんじゃないの?」
 事務所のドアを開けながら、彼はいたずらな笑いを浮かべて言った。
「夏菜には言うなよ」

 

 

 

 

 

「それ未来の旦那さんだったらロマンチックだよね」
「まさか」
 武美は、デスクチェアの背もたれに体を預けながら、彼女らしい空想を口にした。私の部屋であろうと、武美は遠慮なく自部屋にいるかのように振る舞う。それでいて、こちらを不愉快にさせないのは、彼女の一種の才能だな、と私は思った。
「日本の和歌だと、夢に出てくる人について『相手が自分のことを想ってくれていて、その想いが強すぎるから夢に出てきてくれたんだ』って考え方をするの。そんな感じでさ、どこかにめぐみのことをそれだけ想い焦がれてる人がいて、それが夢に届いてるんじゃない?」
「なんか自分勝手な考え方だね、それ」
 例の夢が大恋愛の兆しだと言われても、今の私はことさら否定する気にもならなかった。他人に話して、自分なりに気持ちが整理できたのだろう。いまだに夢で出会う例の男も、今や話の種程度にしか考えておらず、以前ほどの関心も持ってはいなかった。

「その夢に出てくる人ってどんな顔してるの?」
「あいつの顔ねえ……」
 私は、例の男の顔を思い浮かべてみた。一時は毎晩のように見ていたのだから、割と鮮明に思い出せるのだが、こうしてみると、どうもつかみどころのない顔をしている。
「まず、丸顔で、メガネをかけてて、目が大きくて……でも、これといった特徴はないなあ」
「ほとんどノーヒントだね。全然イメージわかないや」
 武美は、私の夢の話をいたく気に入ったようで、それからしばらく異性との運命的な出会いについて自分勝手な講釈を垂れていた。彼女が思う夢の男は、ほとんど白馬の王子様と同じ役割を担っているようだ。武美は熱っぽく、私に注文した。
「めぐみって絵描けるでしょ? またその人と夢で会ったら、似顔絵を描いてみてよ」

 

 

 

 

 

 

 男はそこに立っていて、何をするでもなく顔をこちらに向けている。その目は、私を見つめているようでもあり、うつろに惚けているようでもあった。
 男はそこに立っていて、口元にとぼけた薄笑いを浮かべている。それはどこか空々しく、私を不安な気持ちにさせた。
 私は男に何かを問いかけたようとしたが、その声は音になりそこなって、虚空に溶けていった。男はニタニタ笑いながら、身じろぎひとつせずに、そこに立っていた。

 

 

 目が覚めると、いつもの天井。やれやれ、おなじみのあの夢だ。慣れっこになってはいるが、やはり快適な目覚めとは言えない。
 ふてくされたように寝返りを打つと、ふと昨日の武美の言葉が頭に浮かんできた。似顔絵か。せっかくなら、起きしなの方がより正確なものが描けるかもしれない。
 もはや頭も覚めつつあり、もうまどろみの中には引き返せなくなっている。私は、気だるい体を起こして、ローテーブルからノートを手繰り寄せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後日、また私の部屋に遊びに来た武美に、例の男の似顔絵を見せてみた。彼女はノートを見るなり、大きなため息をついて言った。
「未来の旦那さんって言うには不細工なツラだね」
「だから、私は旦那だと思ってないんだって」
 男の似顔絵を眺めながら、武美は心底落胆したような顔を浮かべている。
「目が大きいっていうか、メガネの度が強いだけだよ、コレ。多分メガネ外したらもっとブサイクだと思う。なんか目の焦点もあってないし、見る人を不安にさせる顔だね。頭が軽禿げしてるのもナシだな。あと、軽く前科持ってそうな雰囲気を感じる。性嗜好に重篤な異常があるのかも」
 武美は、ただの悪口の羅列のようなプロファイリングを続けた。気のない男性に対して、節操のない悪態を吐くのは、私も常々指摘する武美の悪い癖だ。ただ、今日ばかりは、嫌がらせのように夢に出てくるこの男を成敗してくれているようで、胸のすく思いがした。
「めぐみ、こんな男に引っかかっちゃダメだよ」
「別に実在する人物ってわけじゃないんだから」
 私の呆れ笑いを気にもとめず、武美は、引き続き男の顔から他に酷評できる粗がないかを探していた。私は、内心期待しながら彼女の診断結果を待っていたが、男の顔を睨みつける武美の視線が、次第にいぶかしむように宙をさまよった。
「でもさあ……」
 ねじれた声で武美は行った。
「私、この顔見たことある気がする」
 予期せぬ武美の言葉に、私は呆気にとられていた。
「どっかで会ったかなあ」
 武美は、しばらくの間考え込んでいたが、ふと、たじろいだようにノートを置いた。それから、またしばらくの間、彼女は自分の頭に湧いた得体の知れない疑惑と格闘していたが、やがて観念したように口に開いた。

 

「夢だ……」

 

 力の抜けた声で、彼女は続けた。
「夢で見たんだ。この男。多分、1週間くらい前に」

 

 つららで背中を撫ぜられたように、全身が総毛立つのが自分でも分かった。私の夢に現れるこの男を、武美も同じように夢で見たのだ。武美は、自分の言葉から逃れるように、不自然に大きな声で言った。
「多分さ、指名手配のポスターかなんかで見たことあるんだよ。こいつの顔」
 武美の声は、不吉に震えていた。
「だから私も見覚えがあるんでしょ。指名手配犯の顔なんてちゃんと見ないから、今は忘れてるだけでさ」
 武美が気休めを言っていることは、私のしびれた頭でも容易に判断できた。
「夢で見たってのも、なんか、思い違いだったかも。それか、単なる偶然ってことも」
 それ以上、武美は言葉を探すのをやめた。私も返す言葉を持っていなかった。まとわりつくような沈黙の中で、私たちは、ノートの男から視線を剥がすことができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「確かに、知ってる顔のような気もするな」
「それって、ひょっとして夢で会ったりとかしてない?」
 安藤くんは、少しの間、呆れた表情を浮かべていたが、やがて当惑気味に顔を歪めた。彼の喉から漏れる唸り声が、私の不安が的中したことを告げている。
 ノートを机に置いて、安藤くんは吐き捨てるように言った。
「気味が悪い」
「安藤くんだけじゃなくて、武美もそうなんだよ。3人が同じ男を夢に見るって、そんなことってある?」
 私たちは息を抜かれたように、黙りこくっていたが、やがて、じっとりとした沈黙を押しのけて、安藤くんは言った。
「星野さ、 『This man』って知ってる?」
「This man?」
「有名な都市伝説なんだけど、世界中の人の夢に現れる謎の男がいる、って話」
 彼は、自分でもゆっくり確認するように、説明を続けた。

「海外の話なんだけど、『会ったこともない男が何度も夢に現れる』ということで、とある女性が精神科の診察を受けに来たんだ。医師はその女性の証言をもとに、その男のモンタージュを描いた。またある日、別の男性が病院を訪れて、そいつも似たような症状を打ち明けたらしい。まさかと思って、その男性の証言からモンタージュを描いてみると、女性が見た夢の男の顔と同じだったそうだ」

「不思議に思った医師が同僚にモンタージュを送ると、さらに数人、この男を夢の中で見たことがあると言う患者が現れた。ただ事じゃないと感じた医師たちは、このモンタージュの男を『This Man』と名付け、ウェブサイトを立ち上げて、彼の目撃情報を集めることにした。結局、その『This Man』を夢の中で見たってやつからのメールが、全世界から2000通も送られてきたらしい」

 不気味な話だと思うと同時に、すがりつくべき光明のようにも思えた。何でもいいから、私が置かれているこの状況を説明してくれるものが欲しかったからだ。
「なんでそんなことが起きたの?」
「納得できそうな説は幾つかある。人間が思い浮かべる平均的な男の顔が大体こんな感じなんだろう、という説とか、実際のところ人は夢の中身をさほど覚えてないから、後付けでThis Manを見たと錯覚してるのだ、という説とか。ウェブサイトで『This Man』の画像を見たときの印象が強かったから、その顔が頭から離れなくなって本当に夢にまで見るようになったという可能性だってあるしな」
 理屈はもはやどうでもよかった。その『This Man』という男のせいにして仕舞えば、この事態がとりあえず収束に向かうような気がしたのだ。私は祈るような気持ちで、問いかけた。
「じゃあ、私たちが夢で見た男は、その『This Man』ってやつなんだね?」
 安藤くんは、男の似顔絵に目をやると、いまいましげに言った。
「いや、俺も『This Man』の画像をネットで見たことあるけど、こいつとは別人だ。似たような例が海外の都市伝説にあるって話だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやあ、見たことないなあ。こんな男」
「本当ですか? 夢の中で会ったりとかしてませんか?」
 怪訝な表情を浮かべる黒野教授に、私は事の詳細を説明した。おおよその事態を理解すると、先生は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、やはり先生はこの男を知らないし、夢で見たこともないと言う。
「星野さんだけじゃないんだから、やっぱり思い出せないだけで、どこかで見たことある顔なんじゃない? 君らの昔の同級生とかに、こんな人いなかった?」
「確かに武美は同じ高校でしたけど、安藤くんは2年前からの知り合いですよ。3人共通の知り合いなんて、数えるくらいしかいないはずなんです」
 男の出自が、身の回りにあるとは思えなかった。こんな気色の悪い顔の男が知り合いにいたら、決して忘れることはないだろう。今のところ、何の解決にもなっていないのだが、少なくとも黒野教授の夢には現れていないことが分かり、私の緊張感も幾分和らいだ気がした。
 黒野教授は、言った。
「星野さんは、サブリミナル効果って知ってる?」
「コンマ何秒しか見てないから気づかないけど、無意識にはその情報が刷り込まれてる、みたいな話ですよね」
 黒野教授は軽くうなずくと、自論を語り始めた。

「例えば最近よく見かけるCMに、この男がエキストラとして撮影に参加してたんじゃないの? CM自体は、商品が大写しになったり、メインの女優が印象的だったりするから、それを見ている時は、こんな男が写っていることには気づかない。でも、CMを何度も目にするうちに、知覚はしてないものの、この男の印象が徐々に無意識に刷り込まれて、夢に見るまでになっている、とかね」

「僕はテレビを見ないし、そのCMに触れる機会もないからこの男の顔も知らない。君らは、例えば、好きなテレビ番組が同じで、そこで流れるCMをよく目にすることになるからこの男を無意識で知っている。と考えると、とりあえず辻褄は合いそうだけど、どうかな」

 納得できそうな理屈だと思ったが、体の芯にこびりついた気味の悪さを拭い去ってはくれなかった。私の不安げな顔が気になったのだろう。黒野教授は、病人をいたわるように、優しい口調で言った。
「同年代の友達に聞いてみたらどう? 案外、この男の名前をすんなり思い出してくれるかもしれないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どういうつもりなの?」
 夏菜は私を睨みつけて言った。彼女の震える声は、恐怖の他に明らかな敵意を含んでおり、その敵意が、どうやらこの私に向けられているらしいことに、私は動揺した。
「どうしたの夏菜。私、何か気に触ることでも言った?」
「それを私に見せてどうしたいの? 一体何の冗談なの?」
 男の似顔絵に対して夏菜が見せた反応は、それまでの3人とは明らかに違っていた。夏菜は、怯えと怒りがないまぜになった顔で私を刺すように睨んでいる。
「待ってよ夏菜。私はただ……」
「なんでめぐみがそいつを知ってるの? 私に何をするつもりなの?」
 私は、夏菜をなだめながらもおぼろげに理解した。彼女は、この男が誰か知っている。それも、かなり不吉なきっかけで。
「私帰る」
「待って。落ち着いてよ」
 立ち上がる夏菜を制して、彼女の腕を掴もうとすると、夏菜は電流が走ったように体を震わせた。そして、そのままよろよろと座り込み、せきをきったように泣き始めた。私はどうすることもできず、彼女のそばで立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は、衰弱した気持ちを引きずって自分の家に帰り着いた。真っ暗な部屋の中、壁伝いに手探りで明かりを点けると、そこに男が立っていた。
 男は、夢と同じように、身じろぎひとつせずにそこに立って、うつろに惚けた目を私に向けていた。

 

 男は、ニタニタ笑いながら、言った。
「困るなあ」
 初めて聞く男の耳障りな声を受けて、私はようやく事態を理解した。夢の男が、今ここにいる。血の気が引いて、全身から力が抜けていくのがわかった。

 

「僕の似顔絵、夏菜ちゃんに見せたでしょ。そういうのやめてよ。次また夏菜ちゃんに警察を呼ばれたら、もう僕逮捕されちゃうんだから」
 男は、ばね仕掛けの人形のように、いびつに両腕を曲げ伸ばして関節を鳴らした。
「ストーカー規制法っていうんだよね? 勉強したんだよ。偉いでしょ、僕」
私はこの場から逃げ出そうとしたが、脱力した体は、遠のく意識を引き止めるので精一杯で、悲鳴をあげる筋力すら、この身には残っていなかった。
「君ってめぐみちゃんだよね。夏菜ちゃんがいつもお世話になってます」
 男はギクシャクと体を折り曲げて、お辞儀をした。私はその場に立ちすくみ、かきむしったように禿げた男の頭を目で追うことしかできない。
「僕って尾行が下手でさ。君とは何度か目があった気もしたけど、夏菜ちゃんにバレなきゃいいかと思って特に気にしてなかったんだ。まさか似顔絵描かれるくらい顔バレしてたなんて思ってなかったよ。もっと勉強しなきゃね」
 そう言うと男は、ニタニタ笑いをやめ、悲痛な表情を浮かべた。
「僕さ、夏菜ちゃんが僕の似顔絵を見た後、彼女が警察呼んじゃうんじゃないかと思ってさ。こないだは警告で済んだけど、次にそれされたら、もうやばいじゃない?」
 男は泣き出しそうな声で続けた。
「やめてねってお願いしに行ったら、夏菜ちゃん頭がおかしくなったように怒ってて……。しょうがないから、彼女はもうプルピイしちゃった」
 男の言う言葉の意味はわからなかったが、明らかに不吉な響きをはらんでいた。私は、力の抜けた喉から懸命に声を絞り出し、男に問いかけた。
「夏菜に何をしたの」

 突然、男はかんしゃくを起こした赤ん坊のように、床を踏み鳴らして暴れ始めた。男は、耳をつんざくような甲高い奇声をあげ、周囲の物に当たりちらした。私はもはや立つことも叶わず、その場によろよろとへたり込んだ。
 ひとしきり発作のような怒りを撒き散らし終えると、途端に穏やかな表情を浮かべて、男は言った。
「めぐみちゃんのせいで、夏菜ちゃんはいなくなっちゃった」
 私の肺は呼吸の仕方を忘れたように縮みあがり、いまや息を吸うことすら難しかった。男は私の顔を覗き込み、同情するような口調で言った。
 「でも大丈夫。僕がちゃんと分からないように捨ててきたから、めぐみちゃんは死刑にならないよ。よかったねえ」

 

 薄れゆく意識の中で、私は全てを理解していた。

 

 夢は私に教えてくれていたのだ。自分でも気がつかないうちに、私の身の回りに危機が迫っていることを。
 友人を尾け回す狂人の存在に、私の無意識は勘づいていて、それでいて全く気づけないでいる間抜けな私に、何度も警鐘を鳴らしていたのだろう。

 

 夢は私たちに教えてくれていたのだ。夏菜と会うたびに、見るとはなしに視界の端々に捉えていたのであろうこの男の顔を。私や安藤くんや武美の無意識に、知らず知らずに刷り込まれていた男の情報を、懸命に紡いで、脳に映し出していたのだろう。

 

 私は悲鳴をあげたが、その声は音になりそこなって、虚空に溶けていった。男はニタニタ笑いながら、身じろぎひとつせずに、そこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めると、いつもの天井が目に入った。ナメクジが這うように、滲んだ汗がこめかみをにじり落ちる。私は、動悸を沈めるように大きく息を吐き、誰に言うでもなく呟いた。

 

「あぁ……」

「夢でよかった……」

 

 

 

 

 頭の上から声がした。
「夢の方がよかった?」

 

 

END