理論生命科学者 郡司ペギオ・幸夫氏に訊く
生物の「群れ」のメカニズムを研究している郡司ペギオ・幸夫氏は、ダチョウ倶楽部のコントが興味深いと語ります。
「群れ」にはたくさんの謎が秘められています。
ムクドリやミナミコメツキガニというカニは、集団を作って一斉に移動します。その様子はまるで群れ自体が意志ある一つの生き物のようです。
しかし、それぞれがバラバラな生き物なのに、なぜ群れという大きな集団を形成するのでしょうか?
そこで郡司氏は
「受動(他から動作を促されること)」と
「能動(自分の意志で動作をすること)」
という言葉を使い、群れの図式化を試みます。
郡司氏は著書『群れは意識をもつ』において「ダチョウ倶楽部モデル」というアイデアを提出します。
このモデルでは、竜兵は「受動的能動者」だと定義されます。そしてそれが、「群れ」の謎を解く鍵なのです。
どういうことでしょうか?
「どうぞどうぞ」コントは、以下のような一連の流れで構成されています。
・熱湯風呂に3人のうち誰かが入らなければならない
・リーダーの肥後が「オレがやるよ」と手を挙げる
・次にジモンが「いや、オレがやるよ」と手を挙げる
・その2人を見た竜兵が「じゃあオレがやるよ」と手を挙げる
・すかさず肥後・ジモンが「どうぞどうぞ」と竜兵に譲る
ここに「能動的」「受動的」という尺度を持ち込んでみましょう。そして、誰が能動的で、誰が受動的かを考えます。
まず「全員が能動的である」と考えることができます。全員が「オレがやるよ」と宣言しているし、みんな能動的だ、というわけです。
しかし「全員が受動的である」と考えることもできます。なぜなら、肥後とジモンが「オレがやる」と言ったのは熱湯風呂に入りたいからではなく、竜兵に「オレがやるよ」と”言ってもらう”ための戦略だからであり、逆に竜兵自身は2人に乗せられて「オレがやる」と”言わされている”にすぎないためです。
3人は能動的なのか、受動的なのか……? これは謎です。
この謎は、そのまま「群れ」の謎に転換します。西表島に生息するミナミコメツキガニの群れは、まるでそれ自体が生き物のように一体となって移動する習性があります。
この様子から、ミナミコメツキガニは別名「兵隊ガニ」と呼ばれています。
では、この群れを形成しているカニたちの一匹一匹は「能動的」でしょうか? それとも「受動的」でしょうか?
まるで兵隊のように、大きな規則に従って移動するのですから、普通に考えればカニの動きは受動的だと予想されます。
もしも全員が能動的に、好き勝手に動いていたら群れは形成されないはずです。
しかし、現実のミナミコメツキガニの動きは上記の動きのどちらでもありませんでした。
観察の結果、ミナミコメツキガニの群れはそれぞれが好き勝手な方向に動きながら、全体としては一つの方向性を持った群れを作っていたのです。
群れの構成要素が能動的でも受動的でも、この状態を説明することができません。
そこで郡司ペギオ氏は「ダチョウ倶楽部モデル」を持ち出し、解決案を出しました。
それが「能動的 受動性 / 受動的 能動性」という発想です。つまり、「受動/能動」は単純に対立する関係ではなく、むしろ未分化なものだとしたのです。
ダチョウ倶楽部に戻りましょう。
肥後とジモンは積極的に手を挙げます。それは竜兵に風呂に入ってもらうための受動的な選択です。行動は受動的ですが意図は能動的なので、この2人は「能動的受動」です。
逆に、竜兵は2人が作った雰囲気に飲まれ「自ら熱湯風呂を選ぶ」ことを余儀なくされます。行動は能動的ですが意図は受動的なので、竜兵は「受動的能動」です。
これを高度な心理戦と言うこともできますが、実はこの現象は低い知能しかないカニの群れにも起こっています。
わかりやすく、ミナミコメツキガニが2匹のパターンで考えてみましょう。
2匹のカニにはそれぞれ2通りの行きたい地点があり、そのうち地点Bは2匹とも行けるようになっています。
地点Bのように行きたい場所が重複しているとき、その場所は人気のある場所ということになり、カニは優先してそこに行きたがります。
しかし、同時に押しかけるとぶつかってしまうので、行きたい場所が重複したカニ同士が「雰囲気」を察知して、あえて動かず相手のカニをそこへ誘ったり、自分が先んじて向かったりします。
カニの群れでは常にこの探り合いが行われており、これはまさにダチョウ倶楽部の「オレがやるよ」「どうぞどうぞ」を絶えず行っているということなのです。
カニたちは完全に受動的でも能動的でもなく、両要素を絶えず切り替えながら移動を続けています。それがやがて、一つの大きな「群れ」を形成していきます。
ここにおいて全てのカニは肥後克広であり寺門ジモンであり、上島竜兵なのです。
興味深いのは、ミナミコメツキガニは群れになることで「我慢」を覚える、という点です。
カニは一匹のとき、水深の深いところに入りたがりません。しかし、群れが大きくなると様子は変わってきます。
一匹のときには絶対に入らないような深いところを進んで水路を渡るようになるのです。つまり、群れの一員となることで、各カニにとってはイヤなことを我慢する、ということです。
これは、カニ同士が互いの進行方向を意識して「競り合い」「譲り合い」をしていることが要因の一つになっていると考えられます。
「熱湯風呂」にあえて突っ込んでいくダチョウ倶楽部のようなことが、カニの世界でも起こっているのです。
ダチョウ倶楽部のコントに隠されていたもの。それは生命の根源的な性質なのかもしれませんね。
さて、結果的に「押された竜兵」は熱湯風呂へと落下しますが、ここでさらに根源的疑問が生じます。
そもそも「熱湯」とはなんなのでしょうか?