episode1

 

2005年10月23日、僕はオモコロを開設した。

 

 

当時はまだ24歳で、メディア運営なんてよくわかっていなかったけど、当時衰退気味だったテキストサイト文化を少しでも繋ぎたい一心で立ち上げたのを覚えている。

 

最初のメンバーは、ニスィーベと地獄のミサワとまきのゆうきの4名で、当然記事を毎日アップできるほどのリソースもなかったので週に2本くらいの特集記事と4コマ漫画を掲載できたらいいなくらいのスタートだった。

 

しかし、いざスタートしてみるとライター不足で更新は停滞。

 

特集は月に2回ほどしか更新されてない日もあり、オモコロのトップページには、まきのが描いた同じ4コマ漫画が数ヶ月に渡って掲載されていた。まきのからは沢山の4コマが僕の元に送られてきていたが、僕がそれをトップページに張り替えるのが面倒くさかったからというのが理由だ。

 

 

 

episode2

 

開設と同時に多くの注目と大量のアクセスが流れ込み、幸先の良いスタートを切ったオモコロだったが、半年もしないうちに閑古鳥が鳴くひもじいメディアへと成り下がってしまった。

 

原因は、「更新しない」からだ。あの頃は、毎日情熱をもってオモコロと向き合い、毎週ニスィーベ氏とどちらかの家に泊まり込んで朝まで「こんなことやっていこう!」と夢を語らい合ったり、「向かいの家がキン肉マンハウスに見える」と感想を述べたりしていた。ただ更新はしなかった。語らうことだけで腹一杯になってしまったのだ。

 

 

 

 

episode3

 

そして開設から半年が経った頃、ついに痺れを切らしたスタッフから「そろそろちゃんとやろう」と至極当たり前のことを言われ、スタッフの数を大きく増やすことになった。脳内だけで満足マトリックスに到達していた僕は今までの怠慢を恥じ、それからはしっかりと公開スケジュールを組み、記事数も大幅に増やしてオモコロを運営していくようになった。不思議なもので、メディアとして当たり前のことをやり始めると、それに伴って一緒にやってくれてるスタッフ達の士気も上がり、良い記事の量産だけでなく、実際にお客さんを会場に入れたイベントなどの活動にも繋がっていった。同時に基本的な行動がどれだけ物事を作っていく上で大事なのかを学んだ。

 

 

 

 

episode4

 

今でも忘れられないのが、開設から3年ほど経ったときのメンバーの脱退だ。その頃には、ライターの数は20人は超えていたように思う。組織としてもようやく形になってきた頃で、安定したメディア運営が出来始めた時期だった。そんなときに相棒であり立ち上げメンバーだったニスィーベ氏から「オモコロを辞めたい」と相談を受けた。

 

ずっと一緒にやっていけると思い込んでいた僕は、その突然の相談に戸惑いながらも理由を聞くと「おもしろいことがもう浮かばなくなった」「オモコロに賭けてやっていく将来を想像すると不安になってきた」という答えが返ってきた。

 

元々職人気質だった彼は、ひとつの記事を作るのにも熟考するタイプで、定期的に記事を執筆しないといけないオモコロの作業に消耗しきっていた。また、僕は彼のことを今でも天才だと思っているが、ニスィーベ氏は天才の中でも「自信満々の天才タイプ」ではなく、「自信がない天才タイプ」だった。天才だからこそ他の人には到達できない発想を生み出すが、彼はそんなことよりも普通の人ができる普通のことに対して劣等感を持つ「普通の人になりたい」人だった。

 

僕は彼の気持ちを聞いて、全然納得することができなかった。

 

天才なのにその才能に賭けない勇気のなさにも腹が立ったし、立ち上げのときから毎夜語り合ってきた「いつか大きくしてオモコロで食って行こう!」という誓いを裏切られたような気分になった。逃げるな!そう思った。先に離脱されたことが悔しくてしょうがなかった。

 

今でこそ、良好な関係に戻り、あのときの彼の気持ちは理解できるし、僕ももっと大人になって快く見送れば良かったとも思えるようになった。若気の至りで同じ職場にいるのにキレすぎて半年以上ガン無視するという女の腐ったような態度を取ったことを恥ずかしくも思う。でも、当時の僕は、この件がトラウマになって仲間が去ることを非常に恐れるようになってしまった。そしてこのときから「意地でもオモコロを成功させる!」「ずっと続けて辞めたことを後悔させてやる!」と強く思うようになっていった。

 

 

 

 

episode5

 

その後、オモコロは新しいスタッフを増やし続けて成長していった。

 

毎週土日に集まってアイデアを出しまくる会議を開いた。より良い作品をつくっていくために有志を募って8万円ずつ集めて機材を買う「8万円会」なんてものも作った。書籍も出したし、お笑いのDVDなども制作した。企業からの仕事依頼もちょくちょく貰えるようになっていった。この頃には、ヨッピーやセブ山といった人気ライターも在籍するようなり、次のステージに上がっていける時期に入った。

 

 

 

 

episode6

 

その日は突然訪れた。

 

 

オモコロでいつも最前線でハチャメチャな企画記事を書いていてくれたヨッピーが死んだのだ。

 

全身にお経を書かれ耳だけ千切られた姿で世田谷公園の隅っこのほうで死んでいたらしい。肛門にはカレーが10人前は作れるほどのジャガイモや人参がつっこまれていた。警察は自殺だと判断。葬式も特に行なわれずに遺体は渋谷区のゴミ回収車に回収されていった。

 

 

 

 

episode7

 

オモコロを創設してから4年が経った頃、僕はオモコロの発展に限界を感じ始めていた。

 

オモコロの活動はとても楽しく、やりがいもあって刺激も強いものだったが、所詮は創作意欲の高い個人が集まるサークルのような組織だったので、どうしても本やDVDなどを出すことがゴールになってしまい、その後のモチベーションの維持が難しくなっていくのだ。運良くオモコロもそういった物販展開をするチャンスに恵まれてきたが、そこで承認欲求が満たされてしまい、その先にある「これで食っていく」という目標を見失いがちになってきたのだ。

 

 

「会社化しかない」

 

 

そう思った。

 

当時サラリーマンとして働いていた僕は、安定していたからこそオモコロの活動をほぼ無収入でも動かすことができていたが、それの状態だといつかはモチベーションが枯れるような気がしていた。このオモコロのメンバーと会社を作ることで、リスクは多いが、それ以上にもっと大きなことにチャレンジしていける喜びを得ることができるのではないかと思うようになった。

 

 

 

 

episode8

 

僕は、毎週土日にオモコロ会議に参加してくれていたコアメンバーを集め、「1年後に起業する」と伝えた。

 

そして「今日集まってもらった連中は、一緒に会社をやりたいと思っているみんなだ。最初から全員は無理かもしれないけど、必ずいつかみんなで働けるような会社を作るからついてきてほしい」と自分の想いを吐き出した。

 

ありがたいことに、その場にいたみんなは僕のこの無謀な計画に賛同してくれ、時間がかかっても必ず一緒に働く約束をしてくれた。

 

これで「人」に関する心配はなくなった。次に必要なのは「資金」だ。

 

何をやるにしてもお金が必要になってくる。会社の登記や事務所の費用、当然、人件費も毎月必要になってくる。

 

僕は一年後の起業に向けて資本金500万円を用意しなければいけなかった。

 

この一年は、ほとんど寝ていなかったように思う。普段働いていたサラリーマンとしての仕事に加え、個人で受けれる小さい仕事もがむしゃらになってやった。そしてどうにかこうにか資本金500万円を一年で貯めることができた。

 

 

 

 

 

episode9

 

そんなとき、またヨッピーが死んだ。

 

新幹線の先っぽを盗もうとして警備員に見つかり、布袋をかぶせられ警棒で袋だたきに合って世田谷公園の隅っこのほうで死んでいたらしい。肛門にはカレーが40人前は作れるほどのジャガイモや人参がつっこまれていた。警察は「警棒よりも野菜の量の多さにショック死した」と判断。事件処理が面倒なので自殺という扱いになり、特に葬式も行なわれずに遺体は目黒区のゴミ回収車に回収されていった。仲間の死は何度経験しても辛い。

 

 

 

 

 

episode10

 

2010年6月、僕は起業した。

 

社名はいろいろ悩んだけど「株式会社LIG」にした。
「歯の生え方が下手な人」を専門にプロデュースして行く会社だ。

 

所属タレントは3名。
どいつもこいつも逆に上手じゃないかってくらい歯の生え方が下手だ。

 

僕は、いつかこの3名を紅白に出す!それが新たな僕たちのチャレンジだ!!

 

 

 

 

 

 

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(おわり)