ふんわりコピーとは
有名な商品には有名なキャッチコピーがつきものだ。
「お口の恋人」と聞けば「ロッテ」だし、
「やめられないとまらない」なら「かっぱえびせん」だ。
短いフレーズに商品の「良さ」を表す職業は、コピーライターと呼ばれる。
彼らはひとつのコピーを生み出すために数百のアイデアを生んでは捨てている。
その蓄積があるからこそ、短い言葉に「良さ」が詰められるのだろう。
一方で、世の中には「キャッチコピー未満」の言葉があふれている。
こういうフレーズだ。
「もらってうれしい」
たしかに、どうせお中元を買うなら、もらってうれしいものがいいだろう。
しかし、それをそのまま書くのはどうなんだろうか。
この言葉には顧客を「キャッチ」するような力はない。
肩を優しくタッチするようなふんわりとした言葉だ。
夏だ夏だ
どっかどっかどっか
行こう!
かばん カバン 鞄
うん。心意気は伝わる。
だが、あまりにも情報量が少なくはないか。
おそらく、言いたいことは
「夏だからどこかに行こう、そのためにカバンを買おう」だろう。
それをキャッチーに伝えたくて「単語を連打する」という荒業を選んだのだ。
宣伝文句は主に、商品の良さを短い言葉で表すキャッチコピーと
商品の特長を具体的に挙げる説明で構成されているが、
そのどちらにも当てはまらない言葉がたまにある。
キャッチコピーほど掴むものはなく、
商品説明というには情報量が足りない。
しかし、売り手側の「これはいいものなんですよ」という思いだけは伝わってくる言葉。
そんな言葉が好きだ。
僕はこれを「ふんわりコピー」と名付け、愛でようと思う。
巷のふんわりコピー
ふんわりコピーは周囲にあふれている。
たとえば紙コップ式のドリンクバーに書かれている文字。
「北海道コーンのおいしさがギュっとつまった!!」
「ちょっと嬉しい、セレクトストレートティー」
「冷たさが、心地いい」
「ひんやりおいしい。」
どの言葉もすごく”いい感じ”だ。しかし、なんかふんわりしている。
「おいしさがギュっとつまった」という言い回しはいろいろなところで見る。でもよく考えると、何がどうなれば「おいしさがギュっとつまっている」といえるのかはわからない。おいしいものならなんでもそう書けるんじゃないだろうか。
「ひんやりおいしい」もそうだ。冷たい食べ物なら全部適用できる。「冷たさが、心地いい」なら、食べ物じゃなくて氷嚢とかでも使える。
「ちょっと嬉しい」というフレーズは「もらってうれしい」という言葉と同様に「うれしさ」に主眼を置いている。だが嗜好品はみな、嬉しくなるために買うのだ。
この最大公約数的な言葉で曖昧に伝わってくる「良さ」こそ、
ふんわりコピーの真骨頂である。
だんだん染まるらしい。
しかし、それを言われてどうすればいいんだろう。
「そうか、だんだん染まるのか。じゃあ買うしかないな」となるのか。
その言葉は、そんなに大きく書くべきことだったのか。
そう。ふんわりコピーは雰囲気で書かれる。
だから、その意味を深く考えようとしてもしかたがない。
何も考えず「良いよ」という思いを受け止めるのが正解なのだろう。
「ドキドキの楽しさノンストップだワン!」
どうだろう。この100パーセント雰囲気で書かれたコピーは。
なぜ「ドキドキの楽しさノンストップ」なのか、きっと書き手ですらよくわかっていないに違いない。そして「ワン」と書いたのは、絵のキャラクターが犬だから、それだけだ。
「緊急入荷!」
本当に緊急で入荷しているかどうかは問題ではない。
まぐろを解体する。となればもう、入荷は緊急じゃないといけないじゃないか。店主にそう思わせる魔力がまぐろ解体ショーにはある。
「適切な段取りで予定通り入荷されたまぐろ解体ショー」じゃ全くダメなのだ。
「主役」はお客様です。
これはキャッチコピーの範疇に入るのかもしれない。だが、どこか既存のコピーをダビングしてきたような感じが拭えない。
なんとなく、どこかで聞いた言葉を書いてしまったような迂闊さがある。
「ホームページでも探せるよ♪」という言い回しにも「なんか、こういうときはちょっと砕けた感じにすると良いだろう」という、なんとなくのノウハウがにじみ出ている。
もっとこの「なんとなく」を堪能したい。