※この記事は2010年に連載していた企画を再編集しまとめたものです

 

セピア写真

 

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母親に手紙を書く

 

 

突然だけど、僕にはお母さんがいない

 

7歳(小学校2年生)のときに両親が離婚。

離ればなれで暮らすことになり、離婚の意味も分からないまま

母親がいない生活を続けて、気づけば20年の月日が流れていた。

 

 

その間、一度も会っていない

 

 

23歳の時に父親経由で「柿次郎が会いたがっている」と

連絡をとってもらったことがあったけれど、なぜか断られたことだけ覚えている。

 

 

曖昧な記憶の中で「会わせる顔がない」とか、

そんな理由だったような気がする。なんだよそれ。

子どもから会いたいって言われて断る親がいるのかよ。

 

 

直接ではなく間接的に聞いたのが良くなかったのかもしれないし、

父親と母親の共通の知人経由で聞いてもらったこともあって

僕の大事な気持ちの部分は伝わらなかったんじゃないかなと思う。

 

あれから4年が経って、母親に会いたい気持ちが再び募ってきた。

上京して自分の未来を考えたときに、このままではいけないんじゃないかと。

 

 

自分が30歳になるまでには、このモヤモヤとした感情を消化したい!

 

 

お母さんと20年ぶりに再会すべく、手紙を書いて送ることにした

友だちにもほとんど書いたことがないけれど、

気持ちに整理をつけるためにも良い方法だと思ったからだ。

 

 

宛先の住所は、父親から聞き出していたので問題なし。

「その時がきたか…」みたいな顔をしていた。

 

 

そもそも、僕にとって「母親」という存在はとてもあやふやな存在で。

母親が居て欲しいと思ったときには傍に居てくれず、気づけば居ない状態に慣れてしまい

あっという間に20年という月日が流れていたのが実情。

思春期に入った頃からは意識的に考えないようにしてた気がする。

 

 

手紙をしたためるにあたって慎重に言葉を選びながら、

素直な気持ちをそのまま手紙に込めてどうにか完成した。

 

 

 

 

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お母さんへ

突然のお手紙失礼いたします。

あなたの息子の柿次郎です。

 

小学校2年生以来になるので、

約20年ぶりの連絡になると思います。

 

僕も今年で28歳、一度は連絡をしておきたくて

慣れない手紙を書いています。

 

現在、住み慣れた大阪を離れて東京で暮らしています。

夢だった職業に就いて、楽しい仲間たちに囲まれながら

充実した日々を過ごしています。

 

20年の月日は、過去を振り返るには十分の時間です。

母親として「罪悪感」を覚えているのかもしれませんが

今となっては何も気にしていません。

 

お母さんはお元気ですか?

よかったら、返事をもらえるとうれしいです。

 

                  柿次郎より

—-

 

 

 

 

 

 

 

20101213_26248

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母からの返事

 
 
 
 
 
小2で両親が離婚して以来、20年間会っていないお母さんに送った手紙。
僕の気持ちとは裏腹に、なかなか返事が届かなかった…。
 
 
「もしかして、住所がまちがっていたのかな?」と、
返事が来ないことに不安を覚え、手紙を再送したのが3日前のこと。
 
 
「もう無理なのか…」と、諦めかけていた矢先
ポストを開けてみると…
 
 
 
 
手紙が入っていた!
 
 
 
 
封筒には僕とは違う苗字が書かれていたし、筆跡にも見覚えがないので
変な気持ちになったけれど、これは間違いなくお母さんの手紙だとわかった。
 
 
そして、この日驚いたのはもう1通手紙が届いていたこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
もう1通の手紙の送り主は、父子家庭で育ててくれた大阪に住んでいる父親。
 
 
「なんだろう?」と不思議に思い封筒を開けてみたら、
現在ではバラバラに住んでいる兄や弟の新しい住所が書かれていた。
 
 
 
ああ、そうか。
 
 
 
「何かあったときに住所が分からないと困る」と伝えていたんだった。
なにも手紙で送ってこなくてもいいのに…。
 
 
とはいえ、遠く離れた土地のポストで
父親と母親が20年ぶりに揃ったことを偶然で片付けるのはもったいない。
 
 
両親の奇妙な縁を感じつつ、
ドキドキと高鳴る鼓動をおさえて部屋に戻った。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

母からの手紙を読む

 
 
 
 

お母さんから届いた20年ぶりの手紙…。

これまで自分に母親はいないと強く思い聞かせて過ごしてきたけれど、

こうやって手元に届いた手紙を前にすると存在を実感するというか。

とにかく胸のざわつきが止まらない!! うわああああああ!!

 

 

母親の存在を欲していた時期を思い返すと、

友人が花屋でカーネーションを買い求める「母の日」も、

運動会や遠足、授業参観日などの学校行事のときも……

ものすごく寂しい思いをしていた。なんで自分だけ?って。

 

 

そういえば、父親や兄弟の前でも「お母さん」という言葉を口にしたことがない。

それは家族全員にとっての禁句みたいな雰囲気すら漂っていた。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

恐るおそる、手紙の内容に目を落とす。

 

 

 

 

 

毎日、厳しい寒さが続いていますが、

お元気でしょうか?

 

お母さんは、家の近く(車で5分)の

○○温泉で働いています。

 

柿次郎クンからの手紙、とってもうれしかったです!

もう20年も会っていないのですね?

 

月日が経つのは、早いものです……。

お母さんは、今年の12月で58歳になります。

 

平成12年に車の免許を取って、

毎日元気でがんばっています。

 

いつも、あなたたち3人の顔が浮かんでくるのは

小さい頃に別れたときのまんまですよ。

 

書きたいことがたくさん有りすぎて

少し乱筆になりましたが許してね。

 

山鹿(熊本)のじいちゃん、ばあちゃんは

二人とも、薬を飲みながらも元気で三人仲良く暮らしています。

 

柿次郎は、しっかりしている子どもだったと

おばあちゃんがいっていました。

 

みんなは元気にやっていますか? 

            母より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

母との思い出

 

 
 
 
 
20年ぶりに届いた「お母さん」からの手紙。
 
 
「別の家庭を築いているのかな」と思っていたけれど、
おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らしているらしい。
それも、今も元気に働きながら暮らしているという。
 
 
熊本県山鹿市という場所は、
実は5歳前後のときに住んでいたことがある。
 
 
そこに父親はおらず、母親と兄弟三人で暮らしていた。
いわゆる「別居」の時期にあたるのかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
※たぶん5歳の柿次郎と2歳の弟次郎
 
 
 
 
本当にド田舎で家の周りは山や田んぼだらけ。
漠然とした記憶の中で、弟と虫取りをしていたことだけ覚えている。
地方によくある集合団地で、狭い部屋で川の字になって寝てたような。
 
 
お母さん、そしておじいちゃんとおばあちゃん。
 
 
正直、ぜんぜん顔を覚えていない。
うっすらとした記憶のなかで可愛がってもらっていたような…。
 
 
なにより、おばあちゃんが僕のことを
「しっかりしていた子どもだった」と覚えていてくれたのが嬉しい!
 
 
この気持ちを手紙で返信しよう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

返信を書く

 

 

 

突然だったこともあり手紙の内容は淡々として短かったけれど、

お母さんの複雑な気持ちが十分に伝わってくる内容だった。

 

 

このきっかけを生かして、これからもやりとりを続けたいと思う。

20年分溜め込んだ思いがあるし、聞きたいこともたくさんある。

 

 

とりあえず手紙をくれたことへのお礼、そして素直な気持ちを返信する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お母さんへ

 

ご返信ありがとうございます。柿次郎です。

20年ぶりにやりとりができて、とても嬉しいです。

熊本の温泉施設で働いているのですね。

 

おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に

元気に暮らしているということで安心しました。

お母さんは、この20年間どのように過ごしてきましたか?

僕は父親のダメ加減に振りまわされて、やけに遠まわりな

人生を歩んできたような感じです。

 

もちろん、自分の不甲斐なさもありますが…。

23歳まで夢や目標など、やりたいことが見つからず

フラフラとした毎日を過ごしていました。

とはいえ、幸い人には恵まれていたようです。

 

2008年の夏(25歳頃)、僕の夢を後押ししてくれる人たちのおかげで

兼ねてからの目標を目指すことを決意しました。

そこから約半年間で上京資金の約50万円を用意し、

2009年の2月に念願の上京を果たしました。

 

少し時間はかかりましたが、やりたかった仕事に就くこともできて

気の合う仲間たちと一緒に、とても充実した日々を過ごしています。

そんな仲間たちと一緒に撮った写真を数枚同封しておきますね。

タレ目が特徴なので、どれが僕なのかすぐに分かると思います。

                      柿次郎より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 母から二度目の返信

 

 

 

 

大人になった僕の姿をお母さんに見せるべく、

オモコロの仲間たちとの写真を手紙と共に数枚送った。

 

 

そして数日経ったころ、早くもお母さんから手紙が届いた

初めて届いたときよりも早い! なんとなく気持ちが伝わってきて嬉しい!

 

 

20年の壁を壊すために送った一通の手紙は、

思っていた以上の効果を発揮しているのかもしれない。

 

 

こんなにもスムーズにやりとりができるんだったら、

「もっと早くに手紙を送ればよかったのかな?」なんて思ったりする。

 

 

1回目ほどの緊張感はなかったものの、

どんな内容が書かれているのか好奇心が前のめりになる。

恐るおそる手紙を開いて内容を確認した。

 

 

 

 

前略

朝晩と急な冷え込みが続いています。

病院ではインフルエンザ注射の駈け込み姿など

人の動きの変化が目につくものです。

(じいちゃん、ばあちゃんの薬をもらいに行ったりしているので)

 

さて、私に罪悪感と手紙の中にありますが…。

父親からどのように言い聞かされてきたのか解りません。

柿次郎は人生に真正面から向かって頑張っている様子!

これは私の記憶にも残っています。すばらしいものです。

 

「苦労は若い内にしておけ」と、言い伝えられています。

大いに苦しみ、大いに楽しみ、大いに働き、頑張ることです。

でも、がむしゃらに頑張って体を壊しては何にもなりません。

いつも規則正しく、体調を診ながら…。

 

そして大事なことは人様に対して礼儀正しく生きることです。

私も57歳の老い先短い人生ですが、

柿次郎に負けないよう頑張って生きたいと思います。

風邪などひかぬように、しっかり栄養のあるものを食べてください。

PS.写真も入れています

             

                         母より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第6回コメント紳士