私は加工食品メーカーで営業事務をする30代前半のサラリーマンです。月末になると業務が立て込み、帰りが遅くなるのですが、昨今の働き方改革の動きに弊社も右にならえと、20時以降の勤務を原則禁じられ、自社ビルの電源が全て切られてしまいます。かといって、どこかの喫茶店から無線で会社のネットワークに繋ごうとしても、パソコンのログイン・アウトの記録が情報システム部に取られていますから、溜まった仕事を持ち帰ることもできません。

 

 その日も20時ぎりぎりまで仕事をして、慌ただしく帰り支度をする周りの人間と同様、私も家路につきました。もう少し若いころは、これから一杯飲みにいこうか、と繁華街に繰り出す流れになることも多かったのですが、元々の薄給のせいもあり、同期は1人辞め、2人辞め、今では私1人が残されてしまいました。タテの繋がりも苦手な性質で、上司、先輩、後輩ともつるまず、終業のチャイムが鳴り、自分の業務を済ませると、大抵はまっすぐ自分のマンションを目指します。

 

 最寄り駅から自宅まで歩く途中のローカルスーパーで、私は見切り品のお弁当と、発泡酒、ないしは第3のビールを購入します。給料日は正真正銘の「ビール」に格上げさせるのが、小さなぜいたくです。定価480円の竹の子ご飯弁当に半額シールが貼られていたので、私はすかさず手に取り、かごへ入れました。20時半過ぎのスーパーで、かごにぎっしりと見切り品のお惣菜や菓子パンをつめたおばあさんを見かけることはありませんか。賞味期限もありますし、家族で消化するにも多すぎるだろう。といつも不思議で仕方ありません。

 

 それはさておき、私はいつものようにカゴの中身をセルフレジで会計し、割り箸1膳といっしょに袋に詰め、店を後にしました。ふと、この陰気な街並みを、残りの生涯あと何往復しなければならないのだろう、と、将来への不毛な不安が頭の中をかすめました。しかし、流れに身を任せる人生を送ってきた私が、どう抗おうがなすすべもないでしょうから、余計な心配を抱えるぐらいならば、何も考えずに明日を迎えるほうがマシでしょう。カバンから鍵を取り出し、オートロックを開け、エレベーターに乗り、4階のボタンを押し、自宅の部屋のドアを開けました。

 

 ジャケット姿から、首元の緩くなったTシャツとステテコ姿に着替えました。毎晩、晩酌とスーパーの弁当ですし、通勤ぐらいしか運動と呼べる運動もしておりませんから、おのずと下腹の出っ張りに年齢が現れてきます。女性にもてよう、という気概、あるいは下心も、生まれつき薄いうえに加齢するにつれ尚更「雄の本能」じみたものも消えていきました。ゆるやかに人生の下り坂を転がっているような気がしています。

 

 竹の子ご飯弁当をレンジで少しだけ温めて、ちゃぶ台に広げました。発泡酒のプルタブを開け、炭酸ガスの抜ける空虚な音がワンルームに響きます。先ほどスーパーで買ったばかりですから、さほど冷えていません。冷蔵庫に買い置きをすれば、冷えたおいしいビール(厳密には違いますが、いまは便宜上ビールと表記します)が飲めるのでしょうけれど、「スーパーで買った缶ビールを袋から取り出し、ちゃぶ台の上で開封する」までがワンストローク、というか、ルーティーンになってしまっており、今さらその工程を崩すのがなんとなく気持ち悪いのです。

 

 テレビを点け、適当にチャンネルをザッピングしていると、『秘密のケンミンSHOW 特大2時間スペシャル』がちょうど始まるところでした。思えば息が長い番組です。私が大学進学の折に上京したころからやっていた記憶がありますから、10年以上はくだらないでしょう。

 

 日本全国の都道府県の数は47しかありません。平成の大合併で市町村の数はだいぶ減りましたし、大阪が都に移行するかもしれない、なんてやっていますけれど、都道府県が増えたり減ったりしていないのに、たった47しかない都道府県を10年以上も取り上げるなんて、製作陣の取材能力には脱帽しますが、ネタ切れになりそうなものをどのようにして持ちこたえているのでしょうか。

 

 ましてや、今回は2時間スペシャル。21時スタートの番組ですから、終わるころには23時です。この番組を視聴する層としては(あくまで、素人考えですが)、ごく一般的なファミリーを想定しているように思えるのですが、23時とは少々、特に子どもたちにとっては、時間が深すぎるのではないでしょうか。

 

 本日は木曜日ですし、明日も会社や学校があるでしょうから、金曜日に眠たい目をこすっている理由が『秘密のケンミンSHOW』ではもったいない気がします。もったいない、というのはあくまで主観でしかありませんが。最近の子どもたちの就寝時間の平均は、どんどん遅くなっているのでしょうか。いまはスマートフォンもありますし、早いと小学生でも持っているから、睡眠に割く時間が短くなっている……。なんて事情もあるのかもしれません。子ども、ましてや共に暮らす家族のいない私にとっては推測にしか過ぎません。

 

 さて、司会の男性と女性のタイトルコールとともに番組がスタートしました。どうやら、男性の司会は最近、代替わりした様子です。前にネットニュースになっているのを読んだ気がします。先代の男性司会は、番組終盤で生気を失い、直立しながらすやすやと入眠していましたから、バトンタッチはいい決断と言えるでしょう。新しい男性司会は、他の番組でもよく見かける上背の低いお笑い芸人の方です。ずいぶんと働くなあという印象です。

 

 一方で女性司会のほうは、相変わらずキレのいい関西弁で番組を取り仕切っています。この方もずいぶんキャリアの長いタレントさんです。私が物心ついたころから、すでにキレのいい関西弁で番組を取り仕切るお仕事をされています。容姿の優れた若手俳優さんに、要所要所で求婚を図る、という一連の流れは、名人芸、あるいは伝統芸能と呼んで差し支えないのではないでしょうか。

 

 その日の最初の特集は、「香川県民は、うどんに目がない」というものでした。先ほども申し上げました通り、番組が始まってから10年はくだらないでしょう。私が地元にいたころ、田舎の大通り沿いに讃岐うどんのチェーン店が進出したのを覚えています。

 

 それまで、うどんなんて風邪をひいて食欲のない時か、冬の寒い時期に出前の鍋焼きうどんをとるか、ぐらいしか登場するパターンがなくて、コシがあり、氷でよくしめられたうどんにだし醤油をかけてずるずると食べる、なんて文化は届いていなかったものですから、今ではすっかりメジャーな食べ物になりましたが、当時はなかなか面食らったのを覚えています。本場・香川県の地名を冠したそのお店はあっという間に全国展開し、フードコートなんかでもよく見かけます。

 

 だから、テレビでいま実際に「香川県民はうどんに目がなく、1日1杯は欠かさずうどんを食べている」「早朝から空いているうどん屋があって、お客さんがセルフで麺を茹でたり、時には畑から自分で採ってきた青ネギを刻んで薬味にしたりする」という慣習を、さも最近になり初めて取り沙汰されているかのような盛り上がり具合で特集を組まれている様子に、私は「使い古されたネタとはいえ、振り切ったテンションでないと長寿番組たりえないのだろう」と感心してしまいました。ひな壇にいるタレントたちも、さも「初めて知った」かのようなリアクションを取っています。

 

 もしかして、「香川県民はうどんが大好き」であるという情報がさほど、私が思うよりも浸透していないのではないか?とふと立ち止まりました。が、私が「香川県民はうどんが大好き」という知識を得たのは、テレビと近所にできた讃岐うどんチェーン店のおかげですし、いまさら新鮮味のある情報である確率は限りなく低いであろうと、埼玉県出身のお笑い芸人を名乗る大柄の男性タレントが、どんぶり一杯の釜玉うどんを完食することにより「笑い」を得よう、としている奇妙な光景を眺めながら考えたのでした。

 

 

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 一度「習慣」のスイッチが入ると、それを止める「気持ち悪さ」「居心地の悪さ」にさいなまれる私の潔癖もあり、翌週の木曜21時も、私は『秘密のケンミンSHOW』にチャンネルを合わせました。沖縄県民代表として、大手お笑い事務所所属の、一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いだった男性2名が出演しています。「沖縄県民」以外の仕事を得ている印象が最近はありませんから、彼らが沖縄県に生まれたことは類稀なる幸運であったと言えるでしょう。

 

 さて、今回の特集は「兵庫県には、”明石焼”というソースを塗らないたこ焼きがある」でした。学生時代、関西に旅行へ行った際に、百貨店の地下に入っているお店で初めて「明石焼」を食べたことを覚えています。ただ、そのころには「知る人ぞ知る」ではなく、私も案外にミーハーな部分があり、メディアで知った明石焼をいつか食べてみたかったのです。一般的なソースにマヨネーズのたこ焼きを繁華街で食べていましたし、近辺で変化球(という表現は失礼かもしれませんが)である明石焼を食べられるお店を探したのでした。かつお節の効いた上品なだしに、卵のふわふわとした生地と大ぶりなタコがよく合い、三つ葉もいいアクセントで、あっという間に1人前を平らげてしまいました。明石焼との初めての邂逅はいい思い出として心に残っています。

 

 思い出に浸りながら引き続き視聴していると、先週の讃岐うどんの回と同じく、テレビの中の司会者、ひな檀のタレントたちは、初めて「明石焼」を知ったかのようなリアクションを取っているのです。僻地で暮らしているのならいざ知らず、情報の最先端を行く彼らが果たして「明石焼」を知らないはずがあるでしょうか。

 

 先日の「香川県民は、うどんに目がない」もそうでしたが、取り扱うテーマの新鮮味が薄いような気がします。しかし、初めて番組を視聴する人、ややもすれば「初めてテレビの電源を点けた人」の目線にも立つ必要があると考えると、日本国民の誰に宛てても及第点を叩き出す番組作りの難しさを想像してしまいます。

 

 私も業務のうえで、得意先に一斉配信するメールの文章を作成することがあります。受け取り手の立場を想像し、過不足なく、簡潔に、要点を押さえて推敲したつもりでも、ばっちり記載されている内容についての質問が入りますし、ビジネスメールですから「よく書けており、すんなり理解できました。ありがとうございます!」なんて称賛の返信が返ってくるなんてあり得ません。穴があればそこを突かれるけれども、完璧であっても波風が立たない。

 

 ですが、世の中の職業、仕事の大半がそうであって、四の五の言わずに皆さん働いているのです。プロフェッショナルに支えられて世の中は成り立っている。第3のビールをちびちびと飲みながら、テレビにネタ切れかよ、と文句を垂れている自分が恥ずかしくなってきました。まさか、『秘密のケンミンSHOW』を視聴しながら、おのれの振る舞いを反省するなんて思いもよらず、その日はいつもよりも早めに布団に潜りました。

 

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