煙を吐きたい。でかい煙をぶわっと吐きたい。普段タバコは吸わないけど、とある本に「タバコは眼で吸うものである」とか書いてあって、そんな風に眼でもてあそびたい。景色は煙の向こうに消えていって、視界はそのまま真っ白になる。ぜんぶ煙で包んでやるんだ。

 

タバコというと、10年以上前の思い出が蘇ってくる。それは旅行でトルコへ訪れた時のことだった。現地で親しくなったサムと名乗る男に、「シーシャ屋」に何度も連れて行かれたのだ。「シーシャ」とは水タバコとも呼ばれる、煙を水に通して吸う嗜好品である。

真ん中の鬱陶しい髪の塊が僕(岡田)で、口に加えているのがシーシャのパイプだ。その右に写っているのがサムで、左の男性はなぜか無理やり写り込んできた知らない人である。見事なピースを決めるな。

 

シーシャに傾倒しすぎて仕事を辞めたというサムは、連日のように僕をシーシャ屋へ誘って、そのイロハを教えてくれた。何百通りもある味の組み合わせを選ぶコツ、力強く吸い込んで口の中でフカすコツ、そしてでかい煙を吐くコツ。自由人のサムと話すのは楽しくて、今でもたまに連絡を取り合う間柄だ。

そんな日々を思い返していると、久しぶりに試してみたくなった。シーシャならでかい煙を吐けるはずである。

 

早速ネットで適当なシーシャを購入した。
底の青いガラス部分に水を溜め、上部の器にフレーバーと温めた炭を入れる。

 

 

そして、吸う。

 

 

吐く。

 

 

吸う。

 

 

吐く。

 

小せえ。

 

煙が小せえ。ほとんど見えねえ。楽しくねえ。

確かにシーシャの味はするんだけど、煙が出ないので全然それ感がない。やはりあの本は正しかった。タバコは眼で吸うものなのだ。

敗因は色々あろうが、こうして僕は決意したのだ。絶対にでかい煙を吐いてやる。いや、でかいにとどまらず、最大の煙を吐いてやる。最大が何なのかはわからないが、とにかくこの煙のようなモヤモヤした気分を一息に吹き飛ばしたい。

最大の煙を吐くためにはどうすればいいか。餅は餅屋、シーシャはシーシャ屋。まずは知人のシーシャ屋を訪ねることにした。

 

シーシャ屋へ行く

今回協力いただくのは、水道橋に店を構える「Shisha cafe いわしくらぶ」だ。

シャレすぎる。かつてサムに連れ回されたシーシャ屋ではどこもガタガタのテーブルに髭面のおっさんたちが肘をつき、終始気だるそうに煙を吐いていた。

いわしくらぶでは若い男女がシーシャを傾けながらハイネケンを片手に、ゆったりと談笑している。テラスハウスみたいだ。最近では「吸えるお茶」の開発に取り組んでいるらしいし、シーシャも進化しているのだ。

こちらが店長の磯川さんだ。

 

最大の煙を吐きたいんですけど…

やりましょう。

理解が早い。

とりあえずパッと思いつくのは、シーシャに載せるフレーバーの量ですね。これが多いほど煙の密度が高くなるんで、とりあえずめちゃくちゃフレーバーを入れたシーシャを作りましょう。

 

パンパンにつめますね。

こんなに詰めたのは初めてです。

 

早速吸わせてもらうことにした。磯川さんによると、歌うときみたいに喉を開いて、深く強く吸い込むのが重要らしい。

パイプを口にくわえ、アドバイス通りに一息に吸う。喉を濃い煙が流れていく。そしてそのままゆっくりと吐き出した。

 

おっ

 

お〜。

 

自宅でやった時よりだいぶ大きい煙が撮れた。この調子でいけば最大の煙にたどり着けるかもしれない。

 

いい出だしですよ!どんどんいきましょう。次はどんな手を打ちますか?

もう無いですね。

え?

フレーバーを増やすくらいしか思いつかない。

だめじゃん。

そもそもどんだけ煙の密度を高めたところで、肺活量という壁があるんですよね。そこが閾値になっちゃう。だからこれ以上は難しいと思います。

 

まずい。このままでは単なるシーシャのレポート記事になってしまう。

 

どうにかもっとでかくできませんか?

うーん。結局吐ける量は決まっているから、あとはその煙をいかに霧散させないか、ってとこですかね。煙が空中に滞留していれば、見た目としてはでかくなるはずです。

霧散させないように…ちょっと考えてみます。

 

煙の条件を調べる

磯川さんのヒントを元に、気象学や流体力学に明るい友人に聞き回った。煙を霧散させずできるだけその場に留めるには、どんな条件が必要なのだろうか。行き着いたのが「フィックの法則」だった。

フィックの法則とはアドルフ・オイゲン・フィックによって発表された、物体の拡散に関する基本法則だ。液体や気体、個体がどのように「拡散」していくのかを計算する法則であり、拡散の度合いを表現する「拡散係数」というものが定義されているらしい。

 

さっぱりわからん。

 

「∝」ってなんだ。視力検査か?右か?

詳しい人に解説してもらったところ、要は

ということだそうだ。

今回の検証は室内で行うので、部屋をそういう環境に近づければよい。

 

という訳で、作戦は次の通りだ。

まずシーシャ屋の冷房をガンガンにかけて、室温を下げる。

 

次に、シーシャの近くにドライアイスを設置する。ドライアイスとは固体の二酸化炭素だ。二酸化炭素の濃度を上げることで、大きくて重い分子が増加するはずである。

 

最後に、大量に水蒸気を放出する。分子の密度を上げ、蒸気という「壁」を作ってあげることで、煙の拡散を防ぐわけである。
水蒸気の放出には加湿器や霧吹きを利用するほか、湯を沸かしたヤカンをいっぱい置くことにする。

 

フィックの法則の解釈が正しければ、これで最大の煙が生まれるはずだ。

 

たぶん。

 

 

最大の煙を吐く

深夜1時に、閉店後の「いわしクラブ」に再び足を運んだ。
すでに室内は冷え切っている。

ドライアイスを開封し、

 

加湿器や沸かしたやかんを配置する。やかんの精を呼び出す儀式みたいになった。

 

加えて、とっておきの武器も用意している。カメラマンである。出せる煙の量が限定されている以上、それを綺麗に撮影する技術が肝になってくるからだ。

 

今回、撮影を依頼したのはこちらの天野大地さんだ。

天野さんは数々の映画祭で選出・受賞を重ねている、いま注目のプロの映像作家である。こんな企画に付き合わせてしまって申し訳ない。

 

煙を綺麗に撮るには、どうすればいいですか?

まず煙は白いので、背景は対照的に暗い必要があります。それから、光は逆光気味にあてると良いかな。

逆光なんですか?

逆光じゃないと、背景が明るくなってしまうので。暗幕を設置して、照明をその向きに配置しましょう。

今回使う機材は?

パナソニックのDC-GH5という機種です。映画撮影にも耐えうるカメラですね。あとは煙を至近距離で撮るのにベストなレンズも揃えてきました。

本当にすみません。

 

撮影舞台をセットし、

 

機材の準備も完了。

 

完璧だ。人類の叡智がつまった撮影である。まさかこんな大掛かりになるとは思ってなかった。

 

果たして最大の煙は吐けるのか?

シーシャに一番長けた磯川さんに、渾身の一息を吐いてもらう。

 

 

 

その結果が、こちらだ。

 

 

 

 

 

おっ

 

おおっ

 

おお〜〜

 

 

 

でかい。ていうかスローモーションがかっこいい。さすが映像のプロが撮るとこうなるのか。プロってすごいな。

ちなみに僕も同様にでかい煙が吐けた。

 

 

 

うん、確かにでかいしかっこいい。

でかいしかっこいいのだが…

 

 

これ、最大か?

 

 

心の底から、最大の煙だと胸を張れるだろうか。

 

 

たぶん、張れない。

 

その後も何度か挑戦しようと思ったのだが、磯川さんの最後の顔を見て察していただきたい。

 

これ、結構きついのである。フレーバーを最大にしているので煙がガツンと頭に響く。シーシャを知り尽くした専門家のもとで実施しているとはいえ、やりすぎると身体に悪い。

 

もう…いいか…

 

 

健康に配慮し、ここで撮影は中止することにした。

やはり人類が最大の煙を吐くには肺活量の限界というのがあって、そこにぶち当たってしまったのだ。

 

はあ、

 

 

東京の空気ってうめ〜。

 

ということで、様々な人たちの協力のもと、でかくてかっこいい煙を吐くことはできたが、最大の煙は吐けなかった。そもそも最大の煙ってなんだ。

 

ああ、わざわざシーシャ屋を貸切ったのに…

プロのカメラマンにお願いしたのに…

ヤカン5個も買ったのに…

 

悔しさとやり切れなさがふつふつと沸いてきた。この感情を誰かにぶつけたかった。

 

そうだ、元をたどると、

 

サムだ。

 

 

 

全部こいつのせいだ。

 

サムが僕にシーシャを教えたからいけないのだ。そうでなければこんな企画は思いつかなかった。

行き場のない悔しさが、明後日の方へと向い、そして弾けた。

 

 

ピーガガガ。機械音を奏でながらプリンターが紙を吐き出す。

 

そういえばあのあと、サムに久々に連絡をとった。相変わらず無職のようだ。君の顔を記事にしていいかと聞いたら「煮るなり焼くなり自由に使ってくれ!」的な元気な返事がきた。早速切りとらせてもらおう。

 

そしておもむろにシーシャに灯油ポンプを接続する。灯油ポンプの「吸い上げて吐く」という機能は、シーシャの「ゆっくり吸い込んで吐く」という動作によく似ているのだ。

 

 

それをサムに接続すれば完成だ。

 

 

灯油ポンプを握ると…

 

 

サムが煙を吐いた。

「シーシャ吐きマシーン」である。

サムは直腸がそのままシーシャに繋がっているので、肺活量の制限を受けることはない。ずっと吐き続けることができる。

 

 

うおおおおお

 

 

 

あああああああ

 

 

 

いっけええええええええええ

 

 

 

 

楽しいな、これ。

 

こうして肺活量という「人間の壁」を越えることができたのだ。
最大の煙かはわからないが、とりあえず見たことないくらいの煙に包まれた。

 

 

充満する煙に、だんだん意識が朦朧としてくる。

 

僕はなんのためにこんなものを作ったんだっけ…?

 

最大の…煙を吐く…?

 

なぜ…?

 

なぜそんなことを…?

 

 

 

サム…?

 

 

 

 

 

—— 近年のAI技術の発展は目覚ましい。将棋や囲碁にとどまらず、ポーカーのような不完全ゲームにおいてもAIが人間を超える時代である。生産性の向上や医療の発展に大きな期待が寄せられているほか、AIが小説や漫画を描いたりなど、クリエイティブな分野にまでその技術が進出してきている。

 

最近ではAIが著作権フリーの、存在しない人間の顔を作成・配布するサイトが登場したことで話題になった。

 

 

このサイトではこんな感じでAIが作った顔が並んでいて…

 

 

あれ?

 

 

 

 

ああ、そうだ…

 

 

 

 

 

サムなんて、最初から存在しなかったんだ….

 

 

何が現実で、何が幻なのか。

 

 

煙がその境界線を曖昧にして、僕の視界は真っ白になった。

 

 

 

そうして当初の望み通り、全ては煙に包まれたのだ。