先日、こんな連絡が来た。
小学校の同級生、宮野からだった。
小学校を卒業してからまったく会っていない。
「覚えてる?」と言いたかったのはわかるが、
実に12年ぶりのコンタクトが、「おぼ輝?」だとは。
とりあえず、おぼ輝ことだけ伝えておいた。
宮野。
細身で、坊っちゃん刈りの、
いかにも優等生なクラスメイトだ。
いつもポロシャツを着ていて、
こう、3つに曲がるみたいな、スーパー定規みたいなのを持っていたような奴。
正直、あまり印象に残るような奴じゃなかった。
ただ、あの一件。
宮野について、強烈に覚えているのが、あの事件だ。
小学5年生の頃。
宮野には、あるあだ名がつけられていた。
「うんこマン」
どの学校にもひとりはうんこマンがいただろう。
小学校では、排便しているとバレたら一巻の終わりだ。
うんこマン、うんこ様、うんこ神、うんこと踊る蛇などと呼ばれてしまう。
ただ、宮野は違う。
宮野は、うんこをしてうんこマンになったわけではない。
うんこを掃除して、うんこマンになったのである。
ある日、俺と宮野と同じクラスである市川さんという女の子が、具合の悪そうに教室に入ってきた。
あの切迫した表情…
俺は、何となく分かった。
小便、あるいは――
汗をにじませたその顔からは、学校でうんこをすることを必死に拒みながらも、我慢の限界を迎えようとしている、
そんな極限の葛藤が見てとれた。
とはいえ、ものすごくうんこがしたい人間に、他者ができることはない。
本人がうんこをするしかないのだ。
俺は冷酷にも、その姿をずっと観察した。
チャイムが鳴り、昼休みに入った。
市川さんは、時折ぷるぷる震えながらも、なんとか我慢しきったようだ。
なんだ、と正直、少しだけ思ったその瞬間、
俺の隣の北村が盛大にうんこを漏らした。
「いきなりかよ!」
まるでいきなりじゃなければうんこは漏らしても良いかのような台詞を吐きながら、
足元に近づいてくる茶色い波から逃れようと俺は後ろへ走った。
北村の周囲には誰もおらず、クラス全員が教室の壁を背にして茶色い生命体の様子をうかがっていた。
「キモーい!」
「くせえー!」
「山に帰れ!」
ウンコビッグフットとなった北村は、その場でボックスを踏むようにオドオドし始めた。
先生・・・!
先生が何とかしてくれる!と思い、担任の教師をチラっと見てみると、
本を読んでいた。
「えっ本読んでんじゃん」
大人に対して「本読んでんじゃん」と言ったのは初めてだった。
北村は泣き始めた。
泣くというか、涙と呼ぶには生ぬるい液体が顔から滴り落ちていた。
教室はひとしきりの阿鼻叫喚を終え、実際これどうすんの的な空気が流れ始めていた。
先生は本を読んでいる。
稼働を終えたウンコサーキュレーターを前に、
俺たちにはしばしの硬直状態が訪れた。
警察とか呼ぼうかな
そんなことを思った瞬間、
宮野が立ち上がった。
まあ正確には元々立っていたが、こう、すくっとした。
「大丈夫?」
宮野はウンコチュパカブラに近づいて声をかけた。
教室は静まり返る。
宮野はズボンからポケットティッシュを取り出し、飛散した茶色の破片を丁寧に拭き取り始めた。
窓から青空が覗く。
正午を回って少し傾いた太陽が、宮野の横顔を照らした。
「ティッシュでどうこうの事態じゃないだろ」
皆がそう思っていたに違いない。
俺だってそうだ。
しかし、俺にできることもない。
俺は自分のポケットティッシュを取り出し、宮野に向かって投げた。
黙ってそれを拾い、清掃を続ける宮野の姿を、忘れることができない。
「うんこマン」
誰かがそう呟いた。
ウンコの茶と、ティッシュの白。
俺はこの夏の時間が永遠に続くように思えた。
宮野のことを思い出していると、少しだけ会いたくなってしまった。
うんこの掃除がだ~い好きな変態だとばかり記憶していたが、
改めて思い返してみると、めちゃくちゃいい奴だ。
うんこマンと呼びこそしなかったが、冷ややかな目を向けてしまったのは事実。
俺はその不誠実を謝りたかった。
少しドキドキしていた。
こんなに着る服を悩んだのは久しぶりだ。
どうしよう。
いったん頭をリセットしよう。
俺はこれから学生時代の初恋の相手に会いに行くのではない。
床のうんこ、というより、うんこの床を拭いていた宮野と会うのである。
12年ぶりの友人。
遅刻をするわけにはいかない。
俺はTシャツにジーパンを決め、街へ繰り出した。