昔つきあっていた人が死んだらしい。
彼女は16歳で、クチャラーだった。

 

 

 

 

 

 

 

いろんなものを軽んじることにも慣れた28歳のぼくは、まだむごたらしく生き延びている。
僕は彼女のようなクチャラーにはなれなかった。

「ハヒフライのはんめん」

彼女の最初のことばは今でも鮮明におぼえている。
教室で弁当を食べていたら、彼女は大きく開いた口の中をいきなり見せつけ、そう言ったのだ。
衣につつまれた牡蠣の欠片が舌の上でゆっくりとうねる。
カキフライの断面。

 

ひとが飯食ってるときに最悪な女だなと思った。

 

牡蠣を飲み込んだ彼女は「どう?」と言ってきた。

 

「グロい、最悪」

 

ぼくの素直な答えを聞いて、なぜか彼女は満足げな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのときから、ぼくは彼女のお気に入りになってしまったらしい。

 

「ねえ、サイゼ行くよね」

 

彼女はぼくを誘うときいつも「行こうよ」じゃなくて「行くよね」と言った。
よほど断りたかったけれど、そのとき口内の牡蠣が頭に浮かんで、なぜかそれはぼく自身の弱みのような気がした。

 

彼女は、ぼくの人生ではじめて出会った、正真正銘のクチャラーだった。
バッファローモッツァレラのピザを咀嚼するたびに歯の隙間からクチャクチャという音が漏れた。

 

 

 

 

 

 

「あたし、クチャラーなんだ。すごい音でしょ」

 

辛味チキンを噛みながら彼女は言った。たしかにすごい音だった。
もはやクチャクチャではなかった。グチョグチョだった。

 

「ほんとはきみもクチャラーだよ。クチャラーだからわかるの」

「ぼくが?」

 

ぼくはものを食べるときに音を立てない。でも、彼女が言いたいのはそういうことじゃないみたいだった。
彼女はぼくの目をじっと見据え、クチャクチャクチャクチャと肉を咀嚼する。
ぼくにはだんだん、そのクチャ音が悲鳴のように聞こえてきた。
虫歯の野良犬が、その痛みを伝えるすべを持たず、ただ唸るしかできないように。

 

 

 

 

 

 

「あたしとつきあうよね?」

ぼくが二度目のドリンクバーから戻ってきたとき、告白された。

 

「なんで?」

「だって、クチャラーでしょ?」

「そっか」

 

いま思い出しても納得の行かないやりとりだ。でも、クチャラーと恋をするとはそういうことなのだ。

 

 

 

 

 

 

つきあいはじめてから2ヶ月とちょっと、およそ高校生のカップルがしそうなことはだいたいした。でも、何をするにもどこかうそくさい気がして、なにより彼女自身がその茶番に飽き果てているのをぼくは知っていた。
唯一、音を立てて食べ物を咀嚼しているときだけ、彼女はほんとうに嬉しそうに笑うのだった。

 

「この世界はクチャラーのためには作られていない」

 

そんなようなことを、8月終わりのサイゼリヤで言っていた。

 

 

 

 

 

 

 

夏休み明けと同時に彼女は高校を退学していた。理由は知らない。メールアドレスも使えなくなっていた。

28歳のぼくは、元同級生からのLINEで彼女の死因を聞いても驚きはしなかった。
ただあたりまえの事実を再確認しただけだ。

 

「この世界はクチャラーのためには作られていない」

 

そういうことだ。
彼女の過剰で執拗な咀嚼音は、この世界へ向けられたあまりにも弱い呪いだった。

 

深夜のコンビニでサラダチキンを買った。
手をびしょびしょにしながら開封しておもむろに噛みつく。

 

頭の中で彼女のクチャクチャ音がきこえた。

ぼくはその幻に重ねるように、音を立ててチキンをむさぼった。

クチャクチャ、クチャクチャ。

 

クチャラーのぼくは、今夜だけはきみと世界を呪おう。

 

 

クチャクチャ、クチャクチャ。

ぼくは、ゆっくりと噛みしめる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅い」