口頭だけで説明できますか?

 

選挙が近づくと、思い出す。

学生の頃3日間、コールセンターで派遣のアルバイトをしていた。

 

業務内容は非常にシンプルで、「電話をかけて、名前の漢字を聞く」というものだった。

 

お客さまから漢字の説明を受けた後、

「早朝、などの朝に、青田買いの青に、難しい方の龍ですね?」

みたいな感じで、なんか他の単語を出して確認しつつ聞く必要があった。

 

 

電話をかけた人たちは、何度も説明したことがあるかのように「香川県の香川に、照明の照に、ひらがなの『え』みたいな字です」などと、わかりやすく説明してくれた。

当時、ぼくは人生で名前の漢字を口頭で伝えたことがなかった。自分の本名はシンプルな方なのできっと困ることは無いが、「斉藤」さんとか「渡辺」なんかは無限に近いパターンがある。みなさんはどうしていますか? 説明できますか?

 

 

 

 

 

 

 

※記事中に出てくるお名前は個人情報の為、めちゃくちゃ変えてます。

派遣に行った日

 

 

漢検準一級を持っている僕は、多少難しい漢字を言われても対応出来ると、自信を持って職場に向かった。

 

派遣先に着くと、隣のデスクに、金山と言う太った男がいた。同じ派遣会社から派遣された男だ。

 

 

「君、今日から?」

「あ、はい。よろしくお願いします」

「そっかあ、じゃあ僕が先輩だから教えなきゃいけない感じかあ、あんまり教えるの得意じゃないんだけどなあーまあ役割みたいなもんかあ、仕方ないけどね」

 

 

第一印象は大切だ。そこに多くの言葉はいらない。僕はすぐに金山のことが嫌いになった。

 

 

「すみませんよろしくお願いします。金山さんはいつから入ってるんですか?」

「ん? 僕は昨日から」

 

 

たった1日の違いが大きな差になることもある。後輩に当たる存在が入ったことで、金山の大いなる自尊心が刺激されてしまった。

 

 

初日だった僕は、別室で原村さんという若い女性の社員の方から簡単な研修を受けた。

背の小さいフレンドリーな方で、「ここのみんなからは子リスって呼ばれてます!」と自己紹介をされた。小さいのは背だけで、どう見ても中リスか大リスくらいのサイズ感だったので、気になって全然研修が頭に入らなかった。どうしてこの人が子リスと呼ばれるんだ。

 

おおまかな仕事の流れはこうだ。

 

1,名前が載っているエクセルの一覧がある

2,その漢字が合っているかどうか、ミス無いように電話で確認する

 

これだけだ。

一応コツがあって、冒頭でも述べたように一般的な単語を出して確認する。

 

原村さんもハイトーンボイスで説明をしてくれた。

「例えば私だったら原村なんで、『原っぱの原に、市町村とかの村で、原村様ですね~』って確認してくださいね」

なるほど。わかりやすい。

 

「なるべくミスしないようにしてほしいけど、もし間違っちゃってもそんな大問題とかじゃないから、後からなんとかなるから、金山くんと3日間、気楽に仲良くやってね!」

中リスはそういうが、金山と気楽に仲良く出来る気は一切しなかった。

 

そうして研修が終わり、僕のコールセンターの幕が開いた

 

実践

 

PCを立ち上げたりしていたら、金山はインカムと呼ばれるヘッドホンにマイクがついたジャニーズみたいな器具を装着し、僕の方を見た。

 

 

「マキヤ君、くれぐれもミスしないでね。ここにいる全員に迷惑がかかるから」

 

 

殺したい。

なんだこいつ。1日先に入っただけで人ってこんなになれるのか。

 

「ミスされても困るから、簡単に教えてあげると、名前の漢字は、別の単語を出してわかりやすく確認するんだ。例えば僕、金山だったら、『金曜日の山登りと書いて、
金山様ですね』って聞くんだよ」

 

 

その例えもどうなんだと思うが、あと3日こいつと一緒なので、黙ってうなづいた。円滑なコミュニケーションは誰かの我慢で生まれている。

 

 

PC画面に、人の名前がズラリと表示される。そこに片っ端から電話をかけていくらしい。

隣のデスクの金山はもう多少慣れているのか、早速電話をかけていた。

どうすればいいのかなーと思って待ってたら、おじさんと中リスがやってきた。

 

「原村さん、今日からの子は最初聞かせてあげといて」

「はい! マキヤくん、その電話機、ボタン押して番号入れると会話が聞けるから、何回か聞いてからかけてみて!」

 

すごい。こんな盗聴みたいな機能があるのか。

指示された番号を入れると、金山の粘着性のあるボイスと、ダルそうなお客様の声が聞こえてきた。

 

 

 

 

 

「シマにタで、シマダ様でよろしいでしょうか」

 

 

 

何の意味があるんだ。さっきの説明なんだったんだ。島か嶋か縞かを聞くんじゃねえのか。そりゃシマダはみんなシマにタだろ。

 

 

 

「ミゾグチ様のミゾは、排水溝とかの溝でよろしいでしょうか」

 

 

「マツダ様のマツは、松屋のマツでよろしいでしょうか」

 

 

 

気になる。すげえ気になる。なんだろう、そういう指示を受けたわけじゃないけど、なるべく失礼のない単語でやった方がいいんじゃないのか。側溝とか、松竹梅とか、当たり障りのない単語で確認すべきでは。苗字を排水溝で例えられるのまあまあ嫌だろ。

 

金山はダメだ。僕は当たり障りのない単語で伺うぞ! と決意し仕事に取りかかった。

 

漢字は得意なのでそれなりに難なくこなしていたつもりだったが、「袋田」さんが鬼門だった。当たり障りのない袋が全然浮かばなくて「エチケット袋のフクロでよろしいでしょうか」とか言っちゃった。めっちゃ失礼だったと思う。

今思えば池袋とかがあったが、電話しながらだと結構余裕がなくて、コブクロとか役に立たない単語で脳が埋め尽くされていた。

 

 

気を取り直して次のお客様に取り掛かる。

 

「徳川家康の康に、夫のオで、康夫様でよろしいでしょうか」

 

よし、今のはまあまあだなと思っていたら、金山が手を口に当てて「プププ」みたいな表情で見てきた。

 

 

「マキヤくん、夫のオって、なに?(笑)」

「夫は、オットでしょ? なんでオだけなの?(笑)」

「あ、もしかしてオットって2文字以上なの? そうだとしたらごめん(笑)」

 

 

 

心を何に例えよう。

鬼のようなこの心。

 

ぶち殺したいが、たしかに僕は何の違和感もなく「夫のオ」って言ってた。みんな言わないのか。妻夫木くんも言わないのか。

 

 

 

そんなこんなしていたら休憩時間が近づいてきた。

オフィスカジュアルと私服のハザマみたいな格好の原村さんは僕らの後方のデスクで、別の業務をしていた。ただ僕らを任されているのは原村さんらしく、色んな社員さんが指示を出しに、いつもガルボを食ってる原村さんのデスクに訪れていた。

 

「原村さん、お弁当、派遣の子に取りに行かせて」

 

派遣含む社員全員にお弁当が支給されるらしい。いい派遣先だ。

僕と金山がビルの入り口で全員分のお弁当を受け取って、会議室に並べるというとてもやりがいのない仕事を割り振られた。

 

お弁当は大量にやってきて、二人で精一杯。

会議室で金山と二人きり、お弁当を並べながら奴は大きな声で言った。

 

「このお弁当に毒とかを仕込んだら、完全犯罪だね」

 

金山と2人で居るのは本当にキツかった。

全然完全犯罪じゃない。深夜のドンキでジャマイカのペナントとか買ってる奴でも推理出来そうな犯罪だ。

 

金山のドキドキ完全犯罪を指摘する気力も無く、僕は無言で弁当を並べた。

話すとパワーを吸い取られるから、僕は何を言われても受け流そうと考えていた。が

 

「僕、中学の時ポイズンって呼ばれてたんだよね」

 

めちゃくちゃ気になる話をしてきたので、少し話してしまった。肌の色が毒々しいからって理由らしい。超面白かった。

 

 

僕が笑ったらまあまあ不機嫌になられたので、早めに仕事に戻った。

 

 

 

「トシコ様は、敏速の敏に、子どもの子で敏子様でよろしいですか?」

 

「そうそう! 前田敦子と一緒!」

 

「???????」

 

 

仕事は思っていたより難しかった。

俺が悪いんだろうか。お客さまの思考回路が理解出来ないことが結構あった。どういう事だ。何が一緒なんだ。まさか「子」の説明をしてくれたのか。

 

 

よくわからず手こずっていると、金山がニヤニヤして見てくる。眼鏡を割りたい。

 

頑張って電話をかけていると、中リスから「15分休憩でー!」と指示が入る。コールセンターはこういう軽い休憩が入るところが多い。

リフレッシュで煙草を吸おうと外の喫煙所に向かおうとすると、毒の金山も付いてきた。

「ヤニブーストしないとね」

金山は喫煙のことをヤニブーストと言うらしい。

 

「あ、マキヤ君ってタバコそのまま持ち運ぶんだ」

 

そういって毒山は、エヴァンゲリオンのロゴが入ったシガーケースを取り出した。煙草が銃弾のように綺麗に詰め込まれていた。ものっすっごいダサかった。

 

 

先に休憩を終えて座っていたら、金山が戻ってこないまま休憩時間が終わった。

何人かの社員さんが困惑した様子で話していた。微妙に聞こえてくる。

 

 

「原村さん、もう1人の子には始めるよう言って来て」

「はい!」

 

中リスがドタドタと近づいてくる。

 

「なんか金山くん体調悪くなっちゃったんだって! ちょっと休んでもらって、その間マキヤくん1人で進めてもらっていい?」

「あ、はい」

 

 

なにがブーストだったんだ。

 

まあいい、僕は僕の仕事をしよう。

 

 

 

「ジン様のジンは、ええと……」

 

「ヒダリジンゴロウのジンだよ!」 ガチャッ

 

くそっ。誰だ。

 

 

相変わらずてこずっていたら、ポイズン金山が戻ってきた。

「さっきはすまないね。これ、あげるよ」

缶コーヒーをくれたので、ありがたく頂いた。

 

「あーあ、飲んじゃったね」

「マキヤ君、もしそれ、毒が入ってたら、死んでるよ?」

 

金山のキツさにも慣れてきた。このバイトが終わったら殺そう。お前の大好きな毒で殺そう。

 

 

 

「原村さん、派遣の子に後で1人ずつ格納教えるから適当にグーパーとかで分けといて」

「あ、はい!」

 

 

ドタドタ

 

「すみませーん、入力してくれたやつを格納する方法を教えたいので、グーパーしてください」

 

その内容でこの距離ならさっきの人が直接言いに来ればいいのではと思うが、そういうルールなのだろう。

なんか3回くらいアイコになってイライラしたが僕がグーで、金山がパーに決まった。

 

グーパー後、普通に業務に戻るが、金山が卵巣を取られたフグのようにソワソワしだした。

 

「マキヤくん、さっきのグーパー、なんだったんだろうね」

「謎ですね」

「もう10分も経つからな……ちょっと聞いてくるよ」

「え? いや、待ってればいいんじゃないですか?」

「そういうところが”学生”って感じだよね」

 

 

めちゃくちゃムカつく事を言い残し、サリン金山は席を立った。

VAMPSのブランケットを膝に乗せて座ってたはずの中リスがいなくて、別の関係無い社員さんに「すみません、僕パーなんですけど」って聞いてた。「はい?」って言われてた。

 

「どうしたらいいでしょうか?」

「ちょっとー原村さんー! 原村さんー!」

 

 

 

派遣は絶対に、余計なことをしない方がいい。

 

そして

 

格納を教わり、ラスト1時間。

 

 

「クラに、タで、クラタ様でよろしいでしょうか」

 

 

相変わらず意味のない確認をしているダイオキシン金山の様子が、少し変化した

 

 

「えー続いてタイスケ様は、どのように書かれますか?」

 

「An……Thai?」

 

「えーとっ、え? Thai……Hwei?」

 

 

何か日本語らしからぬ発音でアンタイとかタイヘイとか言ってた。

多分「泰」って字で、安泰とか泰平で言っているんだろう。トリカブト金山はそれがわからないようだった。

 

金山が困ってる。こりゃ面白いと、僕は最初に教えてもらった電話を盗聴出来る機能を使って、金山とお客様の会話を受話器から聞き始めた。

 

 

「えーと、なんつったらええんかな、中国のシン(秦)とかに似てる字なんやけど」

 

「Shin……?」

 

「あーええわ、書き方で言うわ、あの、春って漢字の上の部分をまず書くんや、で、その下に水みたいなのを書くんや」

 

 

これはわかりやすいかもしれない。

 

 

こういうことですね。これならいけるだろ。

 

「ウエ…?」

 

「や、春って漢字あるやん。季節の。その上や」

 

「春の上……?……冬?」

 

そんな一休さん的なとんち効かせてねえよ。

 

「漢字の話や! 3本横棒書いて、人書いて」

 

「???????」

 

「ええと……あ! 原田泰造の泰や!」

 

 

その瞬間、

金山の目に光が宿り、水を得たフグのように口が踊りだした。

 

 

「……はいはいはいはい!!! 原田泰造の、泰ですね!?」

 

 

めちゃくちゃ嬉しそうだった。

 

 

「そや! わかるか!」

 

「わかりますわかります! あー春の上って、あー!」

 

「よっしゃ! それに紹介とかの介って字で、倉田泰介や!」

 

 

「 ありがとうございます!えーでは、クラタタイスケ様!!

 

 お漢字の方復唱させて頂きます!!!

 

 クラに、タに、原田泰造の泰に、紹介のカイで……

 

 

 

 

 

 

 

 原田、泰造様ですね!?」

 

 

 

 

 

めちゃくちゃ引っ張られてた。

どれだけ嬉しかったんだ。

 

 

 

おわりに

 

 

3日やってみて、多分300人くらいの人と話した気がする。

こんなに多くの人と話した日はかつて無い。コールセンター、そういうコミュニケーション能力は付くのかもしれない。

皆さんに御礼を言って、最後のタイムカードを切って退社した。

 

業務内容はシンプルでわかりやすく、悪くないバイトだった。

 

 

ただ1つだけ、今でも気になっている事がある。

 

 

 

 

 

原村さん、誰からも子リスって呼ばれてなかった。

 

 

 

 

 

 

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