僕はいつも、彼女に愛していると言う。
しかし彼女は「うん」と言うだけで、「愛している」と返してくれることはない。
嘘でもいい。棒読みでもいいから愛していると言って欲しい。
そう伝えても、彼女は「はいはい」と言って話を逸らすだけ。
彼女は僕のことを愛しているのだろうか。不安が募るばかりだ。
彼女が愛していると言ってくれさえすれば、僕はそれだけで安心できるのに。
彼女は携帯を持っていない。束縛される感じがして好きじゃないのだという。
だから、彼女との連絡手段は、家に電話するか、パソコンでたまにやるチャットぐらい。
ちなみに僕らはSkypeのチャットで出会い、恋に落ちた。
チャットでも彼女の反応は冷たい。
僕が愛していると送っても、無視して話を変えてしまう。
恥ずかしいのだろうか。それとも他に男でもいるのだろうか。
猜疑心は日に日に膨らんでいく。
どうにかして彼女に「愛している」と言わせる方法はないだろうか。
そんなことばかり考えていたら、ある日、いい案を思い付いた。
「愛している」しか打てないキーボードを作ればいいのだ。
作り方は簡単だ。
まず、愛していると打つために必要な7つのキー(A・I・S・T・E・R・U)と、変換や確定などに必要なキーを残してすべて取り外す。
次に、露出した部品を念入りに破壊する。
最後に、粘土を埋め込む。粘土が乾いたら完成だ。
完成したカスタムキーボードを持って、さっそく彼女の部屋を訪れた。
彼女がシャワーを浴びている隙に、カスタムキーボードを彼女のパソコンに接続した。
元あったキーボードは回収し、書き置きを添えておいた。
これで完璧だ。
胸ポケットからサングラスを取り出し、装着した。
彼女にバレないように、抜き足差し足で部屋を去った。
家に帰ってから、彼女に電話した。
「このゴミクズは何なの?」と彼女は訊く。
「愛していると言ってくれないのなら、せめて文字で伝えて欲しい。だから、愛していると打つことだけに集中できるキーボードを作ったんだ」
そう伝えた。
彼女は無言だったが「じゃあ、Skypeで待ってるから」と言って僕は電話を切った。
Skypeを起動し、彼女からのメッセージを待った。
しかし、いくら待っても何も来ない。
耐えかねた僕は「僕のこと愛してる?」とメッセージを送った。
すると数分後、返事があった。
……えっ!? うるさい? どうやって「うるさい」なんて打ったんだ?
しかし、落ち着いて考えたらすぐ解った。
これは想定外だった。
A・I・S・T・E・R・U。この7つのアルファベットで打てる文字は「愛している」だけじゃなかったんだ。
自分は天才だと思ってたのに、もしかして僕は馬鹿なのか?
いいや、違う。そうじゃない。彼女が天才過ぎるのだ。さすが僕の選んだ女だ。
彼女はきっと怒っている。
本当は「死ね」あるいは「ケツメド野郎」などと打ちたいのかもしれない。
そうだ。彼女の好きなものを買って機嫌を取ろう。
それは無理な話だ。
「僕の彼女とヤッてください」って頼むのか? GLAYのTERUに?
無理無理。どうやってTERUに打診するんだよ。それにTERUには奥さんがいる。そういう問題でもないけどとにかくダメだ。
それにしても驚いた。意外と会話が成り立つんだな。
下っ端のヤンキーみたいな語尾が気に入ったらしい。
あと、TAKUROは嫌いらしい。いや、そんなことはどうだっていい。
これ以上チャットを続けても無駄だ。彼女は絶対に「愛している」と打ってくれないだろうから。
一方的にチャットを終了し、僕はベランダに出た。
ジッポライターのふたを開けたり閉めたりしながら夜空を眺める。
なぜ彼女は愛していると言ってくれないのだろうか。
もしかして、彼女は本当にTERUのことを……?
不安に押しつぶされそうになり、涙が溢れ出した。
泣き顔を近所の人に見られないように、胸ポケットからサングラスを取り出し、装着した。
そしてまた、ジッポライターのふたを開けたり閉めたりした。
部屋にもどり、気を紛らすために洋楽オムニバスを大音量で流した。
最近の邦楽は腐ってるから、僕は洋楽オムニバスを聴く。
「うるさいわね! あんた何時だと思ってんの!?」
ノックもせずにおふくろが部屋に入ってきた。
プライバシーの侵害だと言って追い返した。
泣いて、泣き疲れて、空が白んできたころ、僕はやっと眠りについた。
次の日、約束どおり彼女の部屋を訪れた。
彼女は何事もなかったかのように、笑顔で部屋に上げてくれた。
キーボードを元に戻し、改めて彼女に謝罪した。
「僕は忘れていた。愛とは尽くすこと。愛は滅私奉公だということ。それなのに僕は、いつからか愛されることしか頭になくなってしまった。愛に見返りを求めて、君に愛を強要した。ごめん。僕が間違っていた。本当にごめんよ」
すると彼女は「馬鹿ね」と言い、こう続けた。
「どんなに愛しているかを話すことができるのは、 すこしも愛してないからである。これは、詩人・ペトラルカの言葉。本当に愛しているのなら、言葉なんて要らないの。私が愛していると言わないのは、つまりそういうことよ。わかった?」
僕はうつむいたまま、何も言葉が出てこなかった。
「……でも、私が愛を口にしないことであなたを深く傷つけてしまうのなら、言ってあげてもいいわ。でも、一回だけよ? もう二度と言わないからね。わかった?」
「……うん」
僕は顔を上げ、彼女の目をしっかりと見つめながら、次の言葉を待った。
下っ端のヤンキーみたいな語尾が気に入ったらしい。
僕は嬉しくて、嬉しくて、ジッポライターのふたを開けたり閉めたりした。
― Fin ―